投稿

7月, 2026の投稿を表示しています

7月31日(金)朝の「散歩」

9 :00 すぎ、徳見、電動車イスで買物。私はママチャリで伴走する。家を出て右へ行けば、谷戸を貫く一本道で、ウグイスの声を聴きながら進む。その昔は水田もあったはずだが、今は畑になっていて、途中「市民菜園」がある。目立つ黄色い花をみて、「あの花は何?」と徳見が大きな声で私に聞く。私が応える間もなく、畑から「カボチャだよ~」という声が返ってくる……。 こんなのどかな「散歩」も、わずか 10 分ほどで、市街地に出てしまう。今や、四方をすべて市街地に囲まれた「孤立した」谷戸の里山なので、タヌキなどの「中型哺乳類」などは、もちろんいない。2~3年前には、アライグマを見かけたが、すぐに消えてしまった。全国的に増えすぎて困っているアライグマだが、この谷戸では生きられなかったらしい。 30 年前に引っ越してきたころには、キジもいたのだが、数年で消えてしまった。 以前は、ウズラほどの大きさのコジュケイが、「チョットコイ・チョットコイ」と大きな声で鳴いて、7~8羽行列して歩いていたのをよく見かけたものだが、ここ数年、鳴き声すら聴かなくなってしまった。ところが、今年は1羽、大きな声で鳴いていた。おそらく、とこかから迷い込んできたのだろう。来年は「チョットコイ」が聴かれるかどうか……。 一番近いハックドラッグとシャトレーゼで、のんびり買物して、朝の「散歩」は終了する。   年寄りが市民菜園楽しげに 「チョットコイ」など知らずともよし                                   【1年前の今日② 2025.7.31 】北部病院・初診 紹介状を持って北部病院「消化器センター・内科」へ。病院までは車で 30 分弱。7 :30 出て、自分で運転して、一人で行く。予約なしの初診なので、昼過ぎまでかかる覚悟をしていたが、思いがけなく 10:00 ごろには終わる。前田 Dr. 。8 . 2内臓のCT、8 .14 胃カメラ、検査結果は1か月ほど先の8 .25 診察の予定を入れて終了。

7月30日(木)銀行ATM

月末恒例の「浜銀出金」である(5 .29 )。今日も、「歩いて山を越えて行くか、自転車で駅前まで行くか」と迷ったあげく、カンカン照りのアスファルト道路を行くより、山道のほうが少しはマシかと、歩くことにした。 家を出て左へ 10 メートルも行くと、急な上り坂になる。この坂は、電動車イスの業者が角度を測って「絶対に電動車イスでは登ってはいけない」と言った(それでも何度か登ったけれど……)。距離は2~ 30 メートルほどだから、朝晩2錠抗ガン剤を飲んで、何となくかったるい私の足でも、ノロノロと歩けば、登れる距離だ。途中、クマゼミの鳴き声をきく。2~3年前から、この里山でもクマゼミが鳴くようになった。 しかし、山道の日陰もそれだけで、すぐに尾根道に出る。尾根はすっぱりと削られて、向こう側には住宅街が広がっている。 50 年ほど前、私が塾をやっていたころは「山林原野」で、よく塾の生徒を連れて、遊んだり、バーベキューをしたりしたものだ。 尾根の崖に作られた急な階段を下りて街に出て、5~6分も歩けば浜銀のATМだが、今の私の足では 10 分ぐらいかかる……。 ――こうして、午前中「ひと仕事」して、 13:00 木曜のヘルパー来訪。徳見のいつもの「日常」が始まる。   クマゼミが熱帯の気候引き連れて 谷戸の里山暑く騒がす

7月29日(水)「みんなでコンサート」日程

  ミョウガが 100 個近くたまったので、陶芸の「世話人」カジヤに連絡して、取りにきてもらう。彼女の連れ合いは 87 歳で、心臓のバイパス手術をして、今、聖マリに入院していて、これから「見舞い」に行くという。「もうトシだから、いいんだけど……」と言う。何が「いい」んだか分からないが、ちょうど、散歩がてら買物に行くつもりだったので、カジヤの車で、ガーデンズのスーパーまで送ってもらう。 夕方、徳見の知人・マリから電話。彼女は、小学校の教師で、徳見が学校巡回の歯科衛生士として働いていた時代からのつきあいである。甥が「知的障害者」で、ピアノのレッスンを受けていて、その「発表の場」という意味も兼ねて、「みんなでコンサート」をやろうと、 2000 年ごろから、知人に声をかけて、自宅で、年末にやり始めた。 ちょうど、徳見がチターを始めたころで、 2001 年以来 25 年、毎年参加している。コンサートは、ピアノ・ギター・フルートなどといった楽器の演奏以外に、合唱あり、朗読あり、時には紙芝居も飛び出して、初心者もいれば、プロ級もいるという、種々雑多な集まりで、その中に徳見のチターも入れてもらっている。 はじめは、団地住まいのマリ家の2~3室をぶち抜いてやっていたが、数年後には近くの教会を借りるようになった。その後、今の「ミューザ川崎」になってから、4~5年になる。場所は変わっても、中身は相変わらずだ。 今年は 12 月 25 日に会場がとれたという電話だった。昨年は 12 月 24 日だったが、私が9月に「余命1年」の宣告を受けて、車の運転をやめたため、参加しないつもりだった。しかし、どうしても参加してほしいというマリからの強い要請を断り切れず !?  サキに無理をいって送迎を頼んだのだった!  今年のチター・シューラーコンサート(5 . 1)もミューザ川崎で、往きはタクシーで1万円弱、帰りは電車だった……。   車イスいつまで参加できるのか チターを背負い胃ガン抱えて

7月28日(火)ヘルパー来訪/ミョウガ採り

12:40 新しい火曜のヘルパー来訪。 14:00 「サ責」のイイダも来て、二人でにぎやかに、料理や徳見の入浴介助などする。 二人には、「おみやげ」として、ベランダ菜園で採れたキュウリ・山のミョウガ、そして、プランターに雑草のように生えているシソ ( 大葉 ) を刈り取り、持って帰ってもらう。 ヘルパーが帰ったあと、雨もあがり、少し涼しくなったので、「ひと汗仕事」でミョウガ採り。今日は徳見家の窓から見えない、奥のほうで作業するので、草刈りにはあまり力を入れず、ミョウガ採りに集中する。 20 分ほど、 61 個採ったところで、ひと汗かいて終わりにする。   ミョウガ採り ふと気がつけば セミしぐれ          【1年前の今日① 2025.7.28 】北部病院への紹介状 「そよ風クリニック(4 .23 )」で、「昭和医科大学横浜市北部病院・消化器センター」への紹介状を書いてもらう。 【当院に高血圧で通院中の方です。ここ2~3か月、食欲低下、体重減少 2024/12/9 69.21kg → 2025/7/1 65.8kg  胃に内容物が停滞している症状が持続しているとのことです。上部内視鏡など、貴院での精査をご希望されております。ご高診の程、よろしくお願いいたします。】

7月27日(月)内科通院/カマキリとバッタ

10:00 サキが車で迎えに来る。助手席には息子のフウヤ・4年生が乗っている。夏休みなのだ。診察が終わると、「駐車場の草むらで捕った」という小さなショウリョウバッタ2匹を袋に入れている。飼っているカマキリのエサにするのだという。他にもヤモリを飼っていて、エサは「お父さんと、夜、クモを捕りに行く」という。虫が大嫌いなサキだが、一緒になってバッタ捕りをしたらしい。   私も子どものころは、トンボやセミ捕りなどに夢中になったものだが、こうして「飼う」という環境にはなかった。長じて、大学で生物学などを専攻したけれど、結局「学問」の世界にはなじめず、全く違う人生を歩んでしまった。したがって、クラスは 16 人ほどいたが、以後全く交流もなく、彼らがどのような人生を歩んだのか、ほとんど知らない。 一人だけ、律儀に毎年、年賀状をくれるコバヤシという男がいて ( むかし、多摩動物園の「昆虫館」を創設した一員らしい ) 、誰やらが死んだよ……などと教えてくれるだけだ。 その乏しい情報によると、お茶の水女子大教授のネモト ( 故人 ) 、宇都宮大学教授のオオイシ ( たぶん故人 ) が、いわば「出世頭」になるのだろう。学生時代の彼らを知る私に言わせれば、「クソまじめな」二人の授業は、さぞ退屈で学生がかわいそうだったのだろう思う。 多摩動物園のコバヤシは昆虫館・上野動物園のヤマモトは爬虫類館で、飼育員をしていて、私が塾をやっていたとき、おせわになったことがあった……。 ――あとは、教師になったのが何人かいるらしいが、私が知るのは、せいぜいその程度だ。 私が忘れられないカトウという男がいた。「生物」が好きで、「動物科」だったが、植物の名前も詳しかった。酒が好きで、何となく私と気が合って、よく一緒に飲みに行った。彼こそ、学問の世界で活躍してほしいと思っていたのだが、大学卒業後、都立大や東大の研究室に出入りしたりしていたが、どういう経緯か忘れたが ( というより、このころにはほとんどつきあいがなくなっていた ) 、なかなか正式の身分がとれず、不遇のまま、 ( おそらく ) 酒に溺れて、子ども一人残して、早々と死んでしまった。「子どもはカトウにそっくりだったよ」と、あとで聞いた。 私がもっと勉強して、生物学の世界で生きてきたとしたら、教師か大学教授になって、つま...

7月26日(日)生トウモロコシ

昼過ぎ、突然の雷雨。 30 分ほどして雨が上がると、ヒグラシが元気に鳴いて、夏本番という気分だが、気温が急激に下がり、夕食時、室内の温度計を見ると、 28 ℃。徳見「ん?  25 度ぐらいかと思った!」と叫ぶ。このところ 30 ℃を越える日が続いていたので、よけいに涼しく感じるらしい。 おかげで、「草刈り・ミョウガ採り」も、いつもより少し長く、 20 分ほど、ミョウガ 58 個収穫する。 徳見家では、隔週水曜日に、三里塚から「産直野菜」が届く。「三里塚闘争」の時代から、徳見がずっと野菜をとっていて、この春までは毎週だったのだが、年寄り二人では食べきれなくなって、隔週にしてもらった。 前回トウモロコシが2本入っていた。いつもは圧力鍋で蒸して、包丁でしごいて、実を冷凍にするのだが、たった2本を圧力鍋で蒸すのは、エネルギーの無駄遣いのようで……と、生のまま包丁でしごいて実をはがした。 さて、これをどうしようかと思案しつつ、ひとつまみ食べてみると、けっこう甘くておいしい。2本分全部どんぶりに入れて、夕食に出すと、徳見「え~?、生で…… !? 」といいながらも、「この煮物と合わせるとおいしいよ!」などと、結局ほとんど全部一人で食べてしまった。 今日の主食にと、私がゆでたソーメンには手 をつけず、どんぶり一杯の「生トウモロコシ」が今夜の主食となった。   三里塚成田闘争今もまだ 反権力の闘いやまず

7月25日(土)北部病院眼科/徳見裁判

 朝から暑い陽ざし。駅まで、自転車で行こうか、バスで行こうか、玄関を出てもまだ決めかねて、自転車カバーを外しかけて、「やっぱりバスで……」と歩き出す。私の優柔不断な性格を象徴するようで、自分の人生もこんなものだったなぁ……と、苦い思いがこみ上げてくる。   10:00 診察予約が、 11:00 には終わったのだから、上出来のほうだ。帰りに買物をして帰るつもりで、「買い物リスト」を持って出たのだが、チャリにしようかバスにしようか迷った理由の一つがそれだった。買物を背負ってバス・徒歩か、チャリに積むか……。  そして、こんな、どうでもいいような「悩み」をしたあげくの買物だが、いざ帰る段になって、買い物リストをみると、「どうしてもこれから買わなければならないものは、とくにないなぁ……」という気がして、何も買わずに、そのまま帰宅してしまった。こうして自分で決めたことを、なんやかやと理由をつけて、いとも簡単に変えてしまうのも、私にはよくあることだが、この性格なかなか変わらない。  その点、徳見は一度決めたことは頑として変えない。「リハ裁判」「障労裁判」という、2つの裁判をやりぬいたのも、そういう徳見の性格があったからで、私には決してできないことだ。  裁判は2つとも、最高裁まで行って全敗したが、「ゆりかごから墓場まで」障害者を隔離・収容する社会に、今も身をもって闘い続けている……!  明日「やまゆり園事件」10年。それでも何も変わっていない。    障害児分離教育 障害者選別隔離施設収容

7月24日(金)いわい整形外科/草刈り・ミョウガ採り

  今日も 35 ℃の部屋で、扇風機を「中」にして、1時間余り昼寝。起きるとヘルパーが徳見の入浴介助中。私は、火曜日に病院でもらって、今日までの期限の処方箋を持って、ママチャリで5分、薬局へ薬をとりに行き、ついでに、隣にあるシャトレーゼで、シューアイスなどを買って戻り、「草刈り兼ミョウガ採り」に向かう。 今日は、徳見家の窓からよく見えるサンショの木の周辺にびっしりと生えている雑草とミョウガの茂みを、バッサバッサと刈り取って、ミョウガ 44 個収穫して終わりにする。その間わずか 15 分の「ひと汗仕事」だ。  フロから出た徳見、サンショの木を眺めて、「すっきりしたねぇ……」といい、ヘルパーと二人で、「ミョウガ洗い」にかかる。  ヘルパーが帰ると、タクシーを呼んで「いわい整形外科」へ。前回は血圧が高くて、ハリができなかったが、今日は、ハリと置き針もしてもらう。帰宅後、例によって、ハリの反応が出て、「かったるいなぁ!」とチターできず……。  こうして「クソ暑い」一日は終わったのだが、 22:30 になっても、私の部屋は 32 ℃あって、私のクソ暑い一日はまだ終わらない。そして今日も私の部屋のクーラーは出番がない。    サンショの木 下草刈られ 屹立し

7月23日(木)草刈り・ミョウガ採り

  テレビでは、どこやらが 40 ℃の酷暑日になった……などと騒いでいるが、徳見家は昼過ぎ 33 ℃。しかし、2階の私の部屋は、 22:00 の今でも3 3.5 ℃ある。午後、昼寝しようとしたら 35 ℃だった。これなら「表面体温」より低いし……と、扇風機を3段階の「中」にして、1時間余り「ぐっすりと」昼寝してしまった。 せっかく先日買ったクーラーだが、まだ1度も使っていない。べつに電気代をケチっているわけではない。クーラーで「快適さ」に慣れてしまった体では、外で活動できなくなるのではないかと思って、なるべく使いたくないのだ。 15:00  木曜のヘルパーが帰ると、徳見の「四つ葉牛乳」を買うために、まだ陽ざしが強い中を、ママチャリで、あざみ野駅近くのスーパー「オーケー」へ。往復 30 分ほどだが、帰宅後「ひと汗かいたついでに……」と、冷たい水を2ハイ飲んで、「草刈り兼ミョウガ採り」をする。 15 分ほどの「軽作業」で、雑草を刈って、ミョウガ54個収穫して終わりにする。今日の「運動」は、たったこれだけなのだが……。   年寄りは暑さ感じず熱中症 などと言わせぬ体力ありや

7月22日(水)多摩プール(13)/スライダー

   学校が夏休みなので、サキの息子フウヤ(小4)・ユキの息子シュウト(小5)のチビ二人も同行する。プールに着いて、着替えをする段になって、徳見「水着を忘れた……!」 やむなく、私がチビ二人の「保護者」となってプールに入り、徳見とサキは4階の「展望所」から、プールを眺めるだけになってしまった。 予想に反して、プールはそれほど混んでいなかった。私は、チビ二人の水遊びのそばについて、見ているだけ。そのうち二人「スライダーへ行こう」という。 ブールにはスライダーが二つあって、「全長 102m 、高低差 10.2m 」という「大きな」スライダーと、「全長 42m 、高低差 5.5m 」の「小さな」スライダーがある。大きなほうは人気で、いつも長蛇の列なので、二人は小さなほうへ向かう。 私は「ただのすべり台か……」と、軽い気持ちで同行する。すぐに番がきて、私は遊園地のすべり台のつもりで、滑り始めると、そのスピードにびっくりして、体が固まってしまう。時速 100 キロはあるかと思うほどの速さで、何が何だか分からないうちにあっという間に出口に出ると、どうやら、あおむけに横たわった状態で、そのまま水の中に沈んでしまったらしいが、私の意識では、深い水の中に、胎児のように浮いていて、上のほうに薄い窓の明りが見える。口の中に水が入ってくる……。次の瞬間、監視員のお姉さんが助け出してくれた。 膝にも届かないほどの浅い水の中で、溺れかけてしまったわけだ。そのあと、シュウト・フウヤが何事もなく、滑り降りてきて、否応もなく、 85 歳という年齢を見せつけられてしまった。 ところで、滑っている時間は、せいぜい5秒程度だろうか。 42m を5秒で進むと、時速にすれば 30km ほどである。しかしこれはあくまで平均速度で、実際には下へ行くほど早くなる。車のスピードで 30 キロは遅いけれど、あの狭い筒の中では、しかも出口付近では、30キロを超えるはずで、驚くほど速く感じるものだった! とはいえ、何食わぬ顔でプールを出て、待っていた徳見・サキと共に、近くの「くら寿司」で食事を楽しむ。もはや「チビ」などとはいえないほどの「皿の数」だが、私のほうも、昨日「ガンが小さくなって……」というドクターの話に気を良くして(というより、チビ二人につられて?)、けっこう食べたような気がす...

7月21日(火)北部病院点滴/いわい整形外科

  11 回目の「抗ガン剤点滴」の日。診察の冒頭、ハナが「エアコンつけないんですよ!」とドクターにチクる。ドクター苦笑して、「高齢者は、『自分は大丈夫』と言って、熱中症で運ばれるから……」と、一般論で注意するしかない。私も型通りに、「はい、気をつけます」と応えるしかない。 前回のCT検査の結果では、薬の効果で、肝臓の転移も小さくなっているし、何より、胃ガンそのものが、CTで見る限り、分からないぐらい小さくなっているので、順調に経過していると、ドクターもうれしそう……。 ――というわけで、予定通り抗ガン剤の点滴を受けて、帰宅すると、4時を過ぎている。休む間もなく、すぐにタクシーを呼んで、徳見の「いわい整形外科」へ。先週1度もかかってないので、今日はハリを打ってもらいたいのだが……と思っていたが、血圧が高くてハリは打てないという。明日はプールなので「置き針」もできず! 漢方薬と貼り薬をもらって引き上げる。 帰宅後、食事を終えると、徳見「かったるいなぁ……、今日はチター(の練習)休み……!」と、すぐに自室へ引き上げてしまう。 抗ガン剤効いても余命分からない ただ淡々と日々生きるのみ

7月20日(月)草刈り・ミョウガ採り

テレビでは、ツユがあけて「酷暑日」などと騒いでいる……。さすがに 40 度を超えることはないが、夜も更けた今でも、私の部屋の温度計は 32 ℃を示している。さすがに扇風機なしでは過ごせない。 昨夜、「あしたは、何も予定がないから、おいしいものでも食べに行こうか?」などと話していたのだが、朝になって、徳見「この暑さではねぇ……」と尻込みをしてしまう。 そんな暑さの一日だが、目の前の山を眺めていると、うっそうと茂っているミョウガと、雑草の勢いが気になってならない。「ひと汗かく程度なら、大丈夫だろう……」と、夕方、まだ日ざしは強いが、虫よけネットに草刈り鎌、ミョウガ袋を持って、もっとも手近なところから、草刈りをはじめる。 半径1メートルほどやると、汗びっしょりになる。面積にすると3平方メートルという計算になるが、時間は 10 分か 20 分か? 草を刈って、ミョウガ 50 個収穫して、終わりにする。 1回にこの程度なら、毎日でもできそうだ……などと思ったが、しかし、一番やりやすい場所でのことだ。そううまくいくかどうか、などと自問自答しつつ、引き上げる。   ツユあけて 猛暑たしかに 草の中

7月19日(日)茨城からの帰り

「外出もままならない……」と、勝手に思い込んでいたのだが、今朝、ヒサエが「森林公園に弁当を持って、運動のために散歩に行く」という。「いつもは、帰りに買物をしたりするけど、今日はヒロちゃん(私のこと)がいるし、買物も大してないし」……と、手早く弁当を作って、8 :00 過ぎに、カズオの車で出発する。 10 分も走らないうちに「茨城県民の森」に到着し、駐車場に車を停めると、二人はさっさと山道に入っていく。ヒサエは杖をついているが、足どりはしっかりとして、私より早いぐらいだ。カズオは、 80 歳とは思えないほどの健脚で、ヒサエの前方へ数十メートル進んだかと思うと、戻ってきて、また先へ進むということを繰り返している。ヒサエのペースでは遅すぎるのだ。 私が塾を始める前、まだ 30 歳前後のころだろうか、カズオは、日本光学という「大会社」で、レンズ磨きの職工をしていた(と思う)。労働組合活動の一環で、彼がヒサエの勤めていた工場にオルグに来て、知り合って結婚したのだ。彼は、会社の山岳部にも所属していて、ヒサエの工場の同僚の女性2人も誘って(そして私も誘われて)、5月の連休や夏休み・正月休みなどに、テントを背負って、丹沢や南北のアルプス・大菩薩峠その他、今すぐには思い出せないが、いろいろな山を登った。 私がちょうど 30 歳の夏、立山に登り、山頂付近でテントを張って泊まったとき、高山病にかかって、それこそ「死ぬ思いで」何とか帰宅した。1週間ほど寝込んで、治ったが、ちょうど 10 年間吸っていたタバコが吸えなくなったという、忘れられない思い出を残してくれた。 やがて私が塾を開いて忙しくなったり、ヒサエたちに子どもができたりして、山からは遠ざかってしまった。 しかし、カズオは、 日常的には、息子のジュンイチとマラソンをしていたというから、今は「何種類も薬を飲んでいる」といい、みたところやせこけて(体重は、 62 キロある私より「 10 キロは少ない」という)、ヨボヨボしているが、その健脚は筋金入りだ。 30 分ほど歩いて、駐車場にもどり、車で2~3分移動して、「運動公園」の外れにある静かな場所で持参の弁当を食べて帰宅。毎日(ではないと思うが)こんな生活ができるなんて、いい余生を送っているものである。 11:00 ころ瓜連駅まで車で送ってもらい、来たコースを逆...

7月18日(土)妹に会いに……

  私の家族で、残されているのは、妹(ヒサエ)と二人だけになってしまった。妹も当然ながら高齢者で、今や外出もままならないらしい。お互い、いつ逝くか分からないので、今日、茨城県の瓜連(うりづら)まで、妹に会いにやってきた。  10:00に家を出て、地下鉄、JR「 東京上野ライン」などと、聞いたこともない電車に戸惑いつつ、何とか常磐線で水戸駅から、初めて乗る水郡線で、瓜連駅に着いたのは、4時近く。ヒサエの連れ合い・カズオが、駅まで車で迎えに来てくれた。  前回会ったのは2022.2.26の、兄の「火葬式」のとき以来だから、わずか4年ほど前だったが、二人ともめっきりと歳を取った感じで、どこのジイさん・バアさんなのだろうと、一瞬目を疑ったのだが、少し話をしているうちに、もとの二人にもどったので、一安心……!    家は新興住宅地の1戸建てで、ジイさんバアさん二人で住むには広すぎるが、子ども二人……姉のチサトは福島で看護師をしていて、弟のジュンイチは東大の地震研で、研究に明け暮れて、二人ともほとんど帰ることはないらしい。「二人とも元気だから、いいけど……」と、ヒサエもあきらめ顔だが、やはり寂しさは隠せないようだ。  「年寄り二人で、今はこうしてやっているけど、そのうちどうなることやら……」というカズオの心配は、私も同様だし、今多くの年寄り世帯の共通した不安となっているのだ。   とにもかくにも、心づくしの料理とお酒で、久しぶりの出会いを楽しんだのだった。  なるようになるしかないとあきらめて 今を楽しく生きるしかない      

7月17日(金)ミョウガ採り

  午後「ところにより雷雨」の予報だが、朝は時々薄日がさす天気で、「ためしに、ちょっとだけ」ミョウガを採ることにした。虫よけネットはかぶらず、長靴に軍手、ミョウガを入れる小さな「スーパーのレジ袋」を持って、一番手近なミョウガの茂みにもぐる。 小ぶりながら、予想通り、いくつか頭を出している。手を伸ばして、届く範囲で、 24 個とったところで、少し汗ばんできたので、やめにする。わずか5~6分ぐらいだが、いつもこのくらいなら、ミョウガ採りも苦にならないだろうなぁと思うが、こんなに条件の良い場所ばかりではないので、そのときは、潔くあきらめるとしよう! 12:00 ごろ、曇り空を突き破って、突然雷鳴が鳴り響く。数分後には激しい雷雨となり、その中を、 12:30 いつもは自転車で来る金曜のヘルパーが、傘をさして歩いて来る。 夕方雨が上がったので、今度は虫よけネットをかぶってミョウガ採りをする。朝よりも少し奧の場所で、もう少し長い時間――たぶん 10 分程度ねばって、 41 個採ったところで終わりにする。 今回もあまり「足を踏ん張る」必要がない場所なので楽だったが、いずれにせよ、何となくミョウガ採りに自信がついたようで、「年寄りの自信はこわい……」という自戒(7 .15 )を忘れてしまいそうだ!  ミョウガ採り 今日はどこまで 採るのやら (cf. トンボ釣り今日はどこまで行ったやら 加賀千代女)

7月16日(木)どうする?ミョウガ採り

  朝から、強い日ざしが照りつける。昨日、外の植物に水をやらなかったので、どのプランターも、土がカラカラに乾いている。さっそくボウフラがわき始めた雨水の「溜め水」をまいて、ついでにキュウリ6本とミニトマト 30 個ほど収穫する。 山にはミョウガがびっしりと生い茂って、そろそろ収穫できるはずだ。おととしまでは、勇んで採ったので、毎年 800 ~ 900 個ほど収穫したが、去年は体力・気力が落ちて、(今思えば、胃ガンが進行していたのだが……) 500 余りしか採れなかった。 ミョウガを採るためには、全身の虫よけネットをかぶり、山の斜面に足を踏ん張って、汗びっしょりになって這いずり回らなければならない。そして、つい熱中して 毎年、左足の「後十字靭帯」を痛めてしまい、何か月か足の痛みをこらえることになる。 それほどまでして、なぜミョウガを採るのか? 自分で食べるのはほんのわずかで、ほとんど人にやってしまう。隣近所から始まって、陶芸・チター教室、草木染あるいはサキやハナ、出入りのヘルパーなどなど……。 結局は、「人の喜ぶ顔が見たい」という自己満足なのではないか !? ……そんなわけで、「宝の山」を前にして、今日も「どうしようかなぁ……」と思案投げ首である。   スーパーで3個いくらで売るミョウガ 山で増えすぎ持て余し気味

7月15日(水)チター教室/外反母趾

  明け方、右足親指のつけ根が痛くて目が覚めた。私の足は「外反母趾」状に、骨が少し突き出ている。原因をあれこれ考えてみると、思い当たるのは、昨年6月、たまたま港北東急のABCマート脇にあるトイレを借りたときに、私があまりにひどい靴を履いているので、ハナが見かねて、「靴ベラがいらない靴」を「誕生日プレゼント」として、1万円で買ってくれた。それ以来毎日その靴を履いていたのだが、どうやら、その頑丈な靴が、私の外反母趾状の骨に、少しずつひずみを与え、今朝ついに耐え切れなくなって、痛みが生じたのだろうと推測した。 とにかく、痛くて歩けないほどだが、徳見の楽しみの一つであるチター教室を、こんな理由で休むわけにはいかない。湿布を貼ったりして、足を引きずりながら歩かなければならないので、早めの9 :30 にタクシーを呼んで、出発する。靴は……以前履いていて、捨てるつもりで置いてあった、よれよれの靴を引っ張り出して……。 私の子ども時代は、遊びといえば、兄弟や隣近所の悪ガキどもと、外で走り回ることしかなかったので、足には自信があった。捻挫や突き指のたぐいで医者に行ったことがない。塾をやっているころ、夜中、ほろ酔い(どころではなかったか !? )の勢いで、山道を走って捻挫して、半年近く?歩けなくなった。車に乗れさえすれば、何とかなるので、医者には行かなかった。こんなことは、1度や2度ではない 大分前のことだが、足に水虫ができたことがあった。皮膚科へいって、「右足の爪がつぶれているのも、水虫のせいか ? 」ときくと、「昔、足をつぶした物理的なものだ」と言われて、全く記憶はないが、納得したことがあった。 私の外反母趾も、子どものときからの、足の酷使――というか、きちんと治療しなかったためなのだろう。 とにかく、足を引きずりながらも、何とか家に帰るころには、少し痛みが減ってきたような気がする。どうやら、今回も医者には行かないですみそうだ!   年寄りの自信はこわい 今だってできると思うその幻想が……

7月14日(火)北部病院内科/新ヘルパー

  予報では、 30 度を超える暑さになるという。帰りに牛乳6本ほど買うつもりだが、バスを下りてから、炎天下の坂道を思い荷を背負って歩くことを考えると、自転車のほうが楽かな……と、ママチャリで、8 :30 ごろ出発する。 抗ガン剤の影響で、副腎皮質ホルモン「コルチゾール」が出なくなったので、コートリルという薬を一生飲み続ける必要があるらしい。その薬の影響を調べるらしく、昨日の朝からコートリルを飲んでいないためか、駅から病院まで 10 分足らずの道のりがけっこうきつい。 血液検査後の診察では、若干貧血気味とのことだが、それ以外はとくに問題はないので、3か月後にまた……という。こちらも抗ガン剤と同様「一生のつきあい」になるようだ。 採血が終わると、すぐにコートリルを飲んだせいか、病院から駅までの帰り道は普段同様に歩くことができた。牛乳を積んだ炎天下の自転車走行も、往路よりは時間がかかり、汗もかいたけれど、何とか無事に到着した。 15:00 過ぎ帰宅すると、「サ責・イイダ(6 .19 )」が、新しい「火曜のヘルパー」と、楽し気に料理を作っている。すでにお風呂は終わっているらしい。 ヘルパーも若い人が入って来ず、高齢化が進んでいるが、今日のヘルパーは、2~ 30 代のように見える。いつもなら、徳見がヘルパーにあれこれ指図したりして、一緒に料理を作るのだが、今日は若い2人に台所を占領されたようで、徳見は、その様子をニコニコと楽しそうに眺めている。 やがて、大どんぶりに山盛り2つほど料理が完成する。とても食べきれそうにないので、冷蔵庫に残っていた 10 本ほどのキュウリと共に、2人に少し持って帰ってもらう。 ヒグラシの 初鳴き聞きつ キュウリもぐ

7月13日(月)多摩プール(12)

  昨日の疲れがまだ残っているらしく、徳見はいつもより早めにプールを出る。しかし、その分、更衣室で、ゆっくりとシャンプーなどして(これも徳見の楽しみの一つらしい?)、出たのは、いつもと変わらない。 待っていたサキが、「おなかがすいた」という。小柄なサキは、胃袋が小さいせいか、すぐにハラがへるらしい。今日は、徳見の朝食に必要な冷凍ブルーベリーを、「アメリア町田」内のカルディで買う予定なので、その前に、途中のスシローで食事する。 私は、3週間1サイクルの抗ガン剤治療の、最後の1週間の「休薬期間」に今日から入った。これから1週間は、抗ガン剤を飲まないことになる。幸い……といったらいいのか、とくに副作用らしいものはなく、2週間すぎた。食欲はあまりないが、それでも体重は 62 キロ前後をキープしている。 今日も徳見「たくさん食べたねぇ……」と、私をほめて !? くれた。徳見自身は、 「コク旨魚介豚骨ラーメン」を、「スープがうまい」と言って食べたが、以後、握り2~3個、抹茶チーズケーキ、カフェラテなどを頼むが、どれも口に合わず、「終わり悪ければ全て悪し」で、今日は外れだなぁ、と憮然としている。   初孫に泳ぎ教えるジイさんの 目の垂れぐあいを計ってみたい

7月12日(日)休息日

  今日は月一回の陶芸の日なのだが、徳見は、昨日の疲れと、明日のプールのためにキャンセルする。 私はゆっくりと朝寝・昼寝の合間に、「名前のない家事」などしたり、居間の窓から見える里山を眺めては、何もしない時間を過したりする。 先日仕込んだぶどうジュースの梅酒のビン(7 . 5)の1個が、4~5日前、突然底が割れて、抜けてしまった。2日ほどしか経っていなかったので、グラニュー糖はほとんど溶けていなかったので、大部分は回収して、別のビンに収納できたが、2×4(ツーバイフォー)の木材を敷き詰めた床の隙間に入り込んだ砂糖は取り切れずに残っていて、匂いをかぎつけて、小さなアリが床の上をチョロチョロしている。 取り残した砂糖をアリが全部持って行ってくれれば、アリがたいので、このままにしておきたいのだが、徳見に見つかれば大騒ぎになる。その場合は、2×4を取り外して、砂糖を洗い流したりしなければならない。そのためには、テーブルをどかして……など、大仕事になる! ――などと思いつつも、のんびり過ごす一日だった。 アリが来る 家に汚れがある証拠 アリンコ殺すなアリ餌探せ

7月11日(土)草木染

  徳見が「桂川タピスリー工房」の「草木染講習」に初めて参加したのは、 2002. 5 .22 だった。 その前年の7月には、9年かかった「リハ裁判」が最高裁で棄却・敗訴となった。そして、 2000. 6に提訴した、解雇無効を訴える「障労裁判」が、 05. 6に最高裁で棄却・敗訴となり、やっと、2つの裁判が完了して、 06 ごろから、年に5回ほどの「講習」に、毎回のように参加するようになった。 朝8 :00 、私の運転するハイエースに、チターと弁当・水筒・お菓子袋を積んで、徳見は助手席の後ろの席に座って、1 . 5~2時間ほどで、橋本駅から少し入った道志川のほとりにある「工房」に到着する。こうして、 20 年経った。 私が車の運転をやめた昨年9月以後は、草木染に行けなくなってしまった。どうしてもあきらめきれない徳見は、橋本在住の村田キミオ・サヨコ夫妻(5 .13 )に相談すると、橋本駅から車で送迎してくれて、一緒に参加することになった。 徳見が最後に参加したのは、昨年の5月だから、1年ぶりだが、草木染は1年前と全く変わらず進行する。ただ私は、待っている間、チターの練習などをしていたのだが、今回からは、チターを持参することができず(橋本駅まではタクシーと電車なので……)、代わりにノートPCを背負う。 午前中、村田さんの案内で、1時間ほど周辺を散歩をして、彼から、大山道・火伏地蔵・庚申塚、あるいは「東海自然歩道」を歩いた話などをききながら、いわば「歴史散歩」を楽しむ。彼の持っている膨大な郷土史の資料や豊富な知識など、後世に何とか残すべきだと思いながら、貴重な話をきいていた。   道祖神由来や意味をききながら 昔の人の「恐れ」を思う

7月10日(金)いわい整形外科

今日も上天気。 12:30 金曜のヘルパー来訪。まずは、徳見の朝食に不可欠な干しリンゴ作り。といっても、リンゴの皮をむいて、切るだけの作業だ。その後、先日(7 . 2)採ったタケノコと牛肉いためを、徳見・ヘルパー二人で作る。これが後で食べてみると、やたらしょっぱい。徳見「私が牛肉の下味をつけたときに、塩が濃すぎたみたい……」としょげる。 前回(7日)、徳見は、血圧が高くて、ハリを打たなかったので、今日は打ってもらいたいと、 16:00 タクシーを呼んで、いわい整形へ。血圧オーケーで、針治療して帰宅。徳見の場合は、ハリが効きすぎるのか? 帰宅後血圧が 200 近くなって、チターもできず、食後すぐに横になってしまう。   日暮れまでガビチョウ鳴いて里山の 静けさいずこ鳥音公害

7月9日(木)トマト収穫

昨日から、ツユが明けたような晴天が続いていて、昨日の朝干したリンゴが、昼過ぎにはいい具合に乾いてくれた。徳見の部屋の前のキュウリが1本大きくなって、「もう採ってもいいんしゃない?」という。この春種をまいたミニトマト(5 .14 )、今朝 11 個収穫する。1個味見した徳見、「味が濃いねぇ……」と言い、夕食時に全部食べてしまった。 13:00 木曜のヘルパー来訪。先週に引き続き、復帰後2度めである。というのは、 2013. 6~ 2019. 6まで6年間、毎週火曜日に来てくれていた。その間、長野のナオコ(5 .22 )が子どもたちを連れてきたときに、一緒に食事(バイキング)に行ったり、リョウ(5 . 3)の子どもたちと食事したこともあった。 股関節の手術で休職したため、今の「火曜のヤスコ(7 . 7)」に代わったのだった。辞めて3か月ほどした9月に、近くのスシローで「食事会」をしたが、その後、私がガラケーからスマホに替えたたときに、ラインが消えてしまい、以後連絡が途絶してしまった。他のヘルパーから、「元気でやっているよ」という話はきいていたのだが……。   トマト成りキュウリも成って夏近し 去る人あれば来る人もあり

7月8日(水)鶴見大歯科

  久しぶりのヤマザキ Dr. の予約診察日だが、徳見は調子が悪くて行けないという。  初めて診察を受けたのが、 1993. 9だから、ヤマザキ Dr. とのつきあいも 33 年になる。その前年 10 月に「リハ裁判」がはじまり、それまでの、リハセンターでの事故やそれをめぐっての交渉やらで、寝ている間に歯をかみしめて、歯科衛生士として自慢の歯が怪しくなってきていた。ちょうど知人が、歯科医になるため、鶴見大に通っていたので、その紹介で、「鶴見大学歯学部附属病院」に通うようになった。 ヤマザキ Dr. は、今や副院長の肩書を持って、多忙らしく、前回の予約のときは、代診の医師が診てくれて、終わるころにやっと現れて、少しだけ診てくれた。今回は2 :00 の予約が、2 :50 になった。 前回(6 .16 )救急扱いで、割れた歯を結わえていた針金を応急処置としてコーティングしてもらったのだが、ヤマザキ Dr. は、残っていた針金も全部はずして、きれいに詰めなおしてくれて、ついでにもう一方の割れた歯も、「詰めなおしておいたよ」という。 「次回の予約は……」と言うと「(嶋田のほうは)当分大丈夫だから、徳見さんと相談して電話して……」と、あの人懐っこい笑顔で応えるのだった……。   事故·裁判歯科衛生士ご自慢の 歯が傷みだすかみしめの夜

7月7日(火)ヘルパーの別れ2

火曜のヘルパー、来るなり、「母が脳梗塞で倒れ、今月でヘルパーを辞める……」とのこと。徳見と同じヤスコという名前なので、私と徳見の間では「火曜のヤスコ」といっていた。 2019. 9に初めて来たとき、あまり若いので、徳見「お母さん? それともムスメさん?」ときいた。すると大学・高校・小学校の子どもがいるというので、びっくりしたのだった。 それから7年、小学生だった子は、県立高校の2年生になり、野球部で、第2の大谷翔平をめざして !? いる。両親は長年川崎駅前で小料理店を営んでいたが、この2月ごろ。 父親 80 歳にして 、歳には勝てず、 惜しまれつつ閉店して、横浜に転居したばかりだった。閉店と転居という環境の激変に、母は耐えられなかっのだろう。 火曜のヤスコは、二人姉妹で、妹はまだ子どもが小さくて動きがとれないため、親の面倒は自分がみなければならないと、覚悟をきめたらしい。 「介護の社会化」といううたい文句で、鳴り物入りでスタートした介護保険制度だが、子どもが親の介護をするという現実は変わらず、介護しきれなくなったら施設へというコースが定番となっている。国が年寄りの面倒をみる必要がない、いわば「姥捨て政策」の中で、役に立たない年寄りは早く死ねと、「尊厳死」などが叫ばれ……。 ――2週間後に、もう一度来るはずだが、まるで今日が最後のように、「二人ヤスコ」が、ツーショットで写真を撮ったり、ラインを交換したりする。「7年はアッという間だった」と涙ぐむ場面もあり、木曜のヘルパーとはまた違う別れがあって(6 .25 )、「人間って、いいなぁ……」などとあらためて感動する。  さよならは 窓辺にヤマバト 集まりて

7月6日(月)多摩プール(11)

  サキの車で、多摩プールへ向かう途中、業務スーパーで買物。ブドウジュース用に、蜂蜜・グラニュー糖・氷砂糖、ついでに、白砂糖・固形黒砂糖なども買い、その他、久しぶりの買物で、あれやこれやと、買物かごにあふれるほど、「 22 点・ 9048 円」も買ってしまう。 以前なら(といっても、いつのことやら……)、買物かごいっぱい買って、5~6千円だったから、このところの物価の上昇を実感する。日本が直接戦争に加担していない「外国の戦争」でも、モノ不足・物価上昇を招いているのだから、戦争準備に突き進んでいるこの国の政治状況を見るにつけ、戦争が始まったらどうなるか、火を見るよりも明らかだと思うけれど……。 多摩プールには、のどかな時間が流れる。振替休日の小学生グループが数組。「知的障害者」の作業所かグループホームの、女ばかりの7~8人が、思い思いにプールや「お風呂(リラクゼーションプール)」に入って、 ジィさん・バァさん グループと共に、ゆったりとしている。 徳見はいつものように、「お風呂」やプールを何度か往復して、歩いたり浮いたりして、体調維持・管理に努める……。 プールを出れば、待っていたサキと一緒に食事である。今日は、サキの息子の通院予約があるので、4時までには帰りたいというので、「待たされない店」にしようと、玉川学園のサイゼリヤへ(6 .10 )。 今日も徳見「こんなにハラいっぱいで、3人で 3000 円 !?  安いねぇ!」と叫ぶ。     戦争が 買物かごの 中にいる ( cf.  戦争が廊下の奥に立っていた 渡辺白泉)  

7月5日(日)オデンとブドウジュース

朝食後、昨日収穫した青くて固いブドウの実で「ブドウジュース」を作る作業などしつつ、雨の予報だが、大丈夫そうなので、 10:00 ごろ、散歩がてら、近くのファミマで振り込みをし、「あざみ野ガーデンズ」内のスーパー「マルシェ」へ。徳見のメインディッシュがないので、オデンを作ろうかと、ダイコン1本をレジで3つに切ってもらい、袋に入れて下げて帰る。 ダイコンと玉子5個とヌカをを圧力鍋に入れる。ダイコンの下茹でついでに、ゆで卵を作るのだが、ここで、コンニャクがないことに気づく。 午後から、コンニャク作り(5 .27 )をするが、完成するのは明日である。したがって、オデン作りは、明日に延期となった……。 ブドウの実は、ちょうど4キロほどあったので、以前使った梅酒のビンを4つ引っ張り出してきて、1キロずつ入れる。使いかけの黒糖の粉と粒が、合わせてちょうど1キロほどあり、1つのビンに入れる。残りの3つは、明日多摩プールへ行く途中、業務スーパーで、3種類の砂糖を買うつもりである……。 午後、 30 分ほど強い雨が降った。雨はそれだけで、また元の曇り空に戻った。   雨の中ヤマバトが来て餌つつく 窓辺で楽し野鳥観察    

7月4日(土)クーラーとブドウ

  先日(6 .28 )注文したクーラー(今はエアコンというらしい)を、今日「なとり電化(4 .26 )」が、取り付けに来る。年々夏が暑くなり、クーラーなしでは、夏の暑さを乗り切れない状況になってきている。クーラーなしでは生きて行けないとしたら、電気が止まってしまったら、死ぬことになる。当然の理屈だが、多くの人は、電気は無限にあると思って、当然のように、AIも含めて、電気に依存した社会を生きている。私には、この社会が「砂上の楼閣」のように思えてならない。 とはいえ、余命1年を宣告された今となっては、残されたわずかな時間を「有効に・快適に」過ごせさていただきたいと、おそらくこの夏しか使わないかもしれないクーラーに、 10 万円も出してしまった! 「なとり」が作業している間、私は2階のベランダのフェンスまで這いあがってきたブドウの実(房)に、袋をかぶせる作業をする。袋がかぶせにくい場所の房は、切り取って収穫する。 収穫した青くて固い実は、4キロ近くあった。もちろんこのままでは、ただ酸っぱいだけで、食べられたものではない。捨てるにはもったいないので、以前作ったことがある梅ジュースと同じように、氷砂糖に漬けて、ブドウジュースを作ってみようと思い、徳見に話すと、彼女も乗り気になって、ブドウの粒をひとつひとつ点検し、きれいにする作業を始める。 30 分以上かかって、やっと半分ほど終わって、「疲れた!」と言って、今日の作業を終える。   ブドウの実袋かぶってかくれんぼ さぞやヒヨドリ悔しがるだろう

7月3日(金)カスピ海ヨーグルト・顕微鏡

  先日、「カスピ海ヨーグルト」を買ってきて、牛乳を加えて、1か月近く再発酵させて飲んでいたが、しだいにうまく発酵しなくなった。どうやら、雑菌が増えてきたようだ。そこで、塾をやっていたときに買った顕微鏡を引っ張り出して、見てみることにした。 3~ 40 年も前の顕微鏡である。塾で子どもたちに使わせようかと思ったのだが、子ども用のおもちゃのような顕微鏡は買う気になれず、大学で使っていたような本格的な「研究用」の「双眼顕微鏡」を買ってしまった。しかも、光学顕微鏡で見える最高倍率の 1500 倍のレンズまでつけて……。ちょっと宝の持ち腐れになるかなぁ、と思ったのだが、案の定、ほとんど使わないまま、忘れていた。 さっそく照明用の電源を入れてみるが、照明がつかない。見ると照明用のハロゲンランプが切れている。そういえば、当時もこのランプがよく切れて、2~3個買ったことを思い出した。 ネットで調べてみるが、こんな古い顕微鏡のランプなどあるわけがない。とにかく、このランプがあった位置に電球を突っ込めばいいはずだ、というわけで、使えそうな LED 電球を、今日アマゾンに注文した(なるべくアマゾンは使いたくなくて、いつもはヨドバシカメラなどを利用するのだが……)。   高級でもおもちゃに負ける顕微鏡 電気なければただの筒箱  

7月2日(木)里山のにぎわい

午前中の雨も上がり、午後から薄日もさす。 13:00 ヘルパー来訪。徳見が山を見て「竹が大きくなってるねぇ……」と言うので、徳見とヘルパーがコーヒースイーツしている間に、「竹取の翁」となって、山へ竹を取りに行く……。 雨上がりとあって、足場が悪く、何度か転びそうになったりしたが、2~3メートルに伸びた真竹のタケノコを 10 本ほど、根元から鎌で切り取る。そのうちの3~4本は、何とか食べられそうな太さなので、先端 30 センチメートルほど切り取って「収穫」する。ついでにアジサイの花も数本採る。まわりでは、ウグイスがさえずり、ガビチョウ・ヒヨドリもにぎやかに、雨上がりの山をにぎわす……。   ウグイスにガビチョウ唱和し ヒヨドリが負けじと鳴いて里山は晴れ

7月1日(水)チター教室・見学者

7月2日(木) 9 :30 前、「すまいる」の社長・ミヤケ来訪(5 .31 )。書類を取りにくる。ちょうどチター教室の日なので、あざみ野駅まで車で送ってもらう。 おかげで、 11:00 ごろには、下車駅「都庁前」の一つ手前の「新宿」に着いたので、「たまには別の店で食べようか」と、「途中下車」になった。しかし、結局、地下街に並んでいる商店やレストランなどを、何となく眺めて、素通りするだけとなってしまい、いつもの「住友ビル」地下の「 Dishers 」に着いてしまった。 前回(6 .17 )は出発が遅くて、「 Dishers 」に着いたのが 12:00 近かったが、今日は 11:30 ごろで、のんびりと食事ができた。ハンバーグ定植・ごはん大盛無料とドリンクバー、1人前 1690 円を二人で何とか食べきる。 今日は珍しく、見学者が来る。3~ 40 歳の、ちょっと芸術家っぽい雰囲気の男で、「ミヤザキ」と名乗り、「弦楽器が好きで、いろいろやっている」らしい。これまで、何人も見学者は来たが、なかなか定着しない。もはや絶滅危惧種となっているチターに、こういう若い男が入ってくれるのは大歓迎なのだが……。   チターとは第三の男それを知る 人も少なく弾く人わずか