7月27日(月)内科通院/カマキリとバッタ

10:00 サキが車で迎えに来る。助手席には息子のフウヤ・4年生が乗っている。夏休みなのだ。診察が終わると、「駐車場の草むらで捕った」という小さなショウリョウバッタ2匹を袋に入れている。飼っているカマキリのエサにするのだという。他にもヤモリを飼っていて、エサは「お父さんと、夜、クモを捕りに行く」という。虫が大嫌いなサキだが、一緒になってバッタ捕りをしたらしい。

 私も子どものころは、トンボやセミ捕りなどに夢中になったものだが、こうして「飼う」という環境にはなかった。長じて、大学で生物学などを専攻したけれど、結局「学問」の世界にはなじめず、全く違う人生を歩んでしまった。したがって、クラスは16人ほどいたが、以後全く交流もなく、彼らがどのような人生を歩んだのか、ほとんど知らない。

一人だけ、律儀に毎年、年賀状をくれるコバヤシという男がいて(むかし、多摩動物園の「昆虫館」を創設した一員らしい)、誰やらが死んだよ……などと教えてくれるだけだ。

その乏しい情報によると、お茶の水女子大教授のネモト(故人)、宇都宮大学教授のオオイシ(たぶん故人)が、いわば「出世頭」になるのだろう。学生時代の彼らを知る私に言わせれば、「クソまじめな」二人の授業は、さぞ退屈で学生がかわいそうだったのだろう思う。

多摩動物園のコバヤシは昆虫館・上野動物園のヤマモトは爬虫類館で、飼育員をしていて、私が塾をやっていたとき、おせわになったことがあった……。

――あとは、教師になったのが何人かいるらしいが、私が知るのは、せいぜいその程度だ。

私が忘れられないカトウという男がいた。「生物」が好きで、「動物科」だったが、植物の名前も詳しかった。酒が好きで、何となく私と気が合って、よく一緒に飲みに行った。彼こそ、学問の世界で活躍してほしいと思っていたのだが、大学卒業後、都立大や東大の研究室に出入りしたりしていたが、どういう経緯か忘れたが(というより、このころにはほとんどつきあいがなくなっていた)、なかなか正式の身分がとれず、不遇のまま、(おそらく)酒に溺れて、子ども一人残して、早々と死んでしまった。「子どもはカトウにそっくりだったよ」と、あとで聞いた。

私がもっと勉強して、生物学の世界で生きてきたとしたら、教師か大学教授になって、つまらない授業をして一生を終えるか、どこかの動物園の飼育員で、動物と楽しく生きるか(そして、定年後は、コバヤシのように、何することなく漫然と死を待つか)、あるいはカトウのように、不遇をかこって、酒に溺れて早逝するか……。

そう思うと、学問の世界から決別した私のこれまでの人生も、まんざらではないような気がしてくる。それもこれも、徳見のおかげなのだ……!

久しぶりに港北東急の「魚べい」で食事して買物。雨が降りそうな気配に、「うちに寄って洗濯ものを取り入れてから……」と、サキの家に寄ると、フウヤは、カマキリの入っている虫かごを持参する。徳見家の里山で、カマキリのエサを捕るつもりらしい。

帰宅するとさっそくサキとフウヤが虫かごを持って、しばらくしてもどってくると、カマキリと同じような大きさのショウリョウバッタがカゴに入っている。見ているうちに、カマキリがバッタに襲いかかり、食い始める……。「きゃぁ、怖い!」などと悲鳴を上げながらも、サキは、しっかりと見ている……。

 里山に生きとし生けるものありて 共に生きよう食いつ食われつ 

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