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5月31日(日)名前の    ない家  事/抗ガン剤点滴2週間  

10:00 、私が所属する事業所「すまいるケア」の社長・ミヤケ来訪。今月の「活動報告」を取りにきてくれる(5 . 2の項)。書類を受けとり、 10 分程度で引き上げる。 あとは、何も予定はない。徳見にとっては貴重な休息日である。私は 10:00 前に1時間ほど「朝寝」をすませたので、パン焼き機をセットして、「名前のない家事(5 .27 の項)」をあれこれやっているうちに、もうお昼になる。 今年はどういうわけか、ホトトギスが(たぶん)1羽、数日前から、遠く近くで「トッキョキョカキョク……」と鳴いている。午後は、昼寝のあと、パソコンで作業をしていると、あっという間に夕食の時間。そしてホトトギスと一緒にチター練習……。 こうして、 何もしないうちに 、今日も一日終わってしまった。 5 .18 に抗ガン剤(キイトルーダ)を点滴してから2週間、「 S ‐ 1 (エスワン)配合剤」という「飲み薬の抗ガン剤」は今日で終わり、あと1週間は「休薬期間」である。この2週間、何となく疲れやすいという以外は、取り立てて副作用は出ていない。ただ、睡眠中に唾液が出ない、両手親指が「バネ指」になった、両足の膝から下がジンジンする、という「症状」が続いていて、これが副作用かどうかは不明である。 休薬期間が終わる1週間後には、また抗ガン剤の点滴である。こうして、ガンと「共生」するための「3週間のサイクル」が続いてゆく……。   ホトトギス ガントトモニと 鳴くがよい

5月30日(土)サオリ・母と食事

   昨夜、徳見が「明日、おいしいものを食べに行きたいなぁ……」という。しかし徳見の口に合う「おいしい店」は思い浮かばない。それなら、誰かを誘って「楽しく」食べれば、まずい料理もおいしく感じるだろうと、サオリ(5 .10 ・ 16 の項)に連絡すると、ОKとのこと。しかも、母も一緒に来てくれるという。 ……というわけで、今日昼前、タクシーを呼んで、サオリ・母と「たまプラーザテラス」へ。以前、川崎でサキと一緒に入って、徳見が「おいしい」と言った「 Eggs’n Things 」という店があった。 サオリ母は、足の痛みで病院に通っているというが、とても 89 歳とは思えないほど達者で、途中で店のスタッフが「会計票」を置いていき、徳見が取ろうとすると、一瞬早く手を伸ばして、「今回はこちらで……」という。その早業と毅然たる態度に、徳見は何も言うことができない。 私が「それでは次回から誘うことができなくなるから、せめて割り勘で……」というと、サオリが「次回から(割り勘で)……」ということになった。 4人とも「おいしいねぇ……」とハラいっぱい食って、十分満足した……ハズだが、徳見一人浮かない顔で、「マズイ……」とつぶやく。しかし、徳見もほとんど一人前食べたので、それなりにおいしかったと思うが(徳見は「猫人間」で、まずければ決して食べない)、サオリ母の「早業ショック」が尾を引いていたのかもしれない。 「おいしいね」素直に言えず外を見る タマプラテラスは晴れてにぎやか

5月29日(金)横浜銀行・スーパー三徳(サントク)

  徳見の生活保護費は、浜銀に振り込まれるので、月末には必ず、「端数除いて」全額を私が引き出しに行く。  歩いて 10 分ほどのところに ATMがある。散歩がてらにはちょうどいいのだが、「山」を越えなければならないので、今の私の足ではちょっと厳しい。したがって、あざみ野駅近くまで自転車で行くことになる(以前なら 10 分もあれば行けたのだが、今は 15 分以上かかる)。 今日も1時間ほどの「朝寝」の後、自転車で駅へ向かう。往きはほとんどゆるい下り坂だから、当然ながら、帰りがちょっときつい。 駅について、「東急ストア」の駐輪場に停める(1時間以内無料なのがありがたい)。浜銀で用をすまして、道路向かいにあるスーパー「三徳」へ。数年前に「丸正」が「三徳」に代わってからは、一度行ったことがある。小さな駅に「東急ストア」「オーケー」そしてこの「三徳」と、3つもスーパーがあって、東急・オーケーはいつもにぎわっているが、この三徳は地の利も悪く、影が薄い。案の定、今回も店内は閑散としている。 商品の配置は、私の印象では、丸正のときとあまり変わっていない。 10 年1日のごとく、ただ漫然と営業しているだけではないのかなどと、どうでもいいことを思いながら、さて、肝心の買いたいものが何も浮かばない。しかし、リンゴが安い! 昨日、ロピアで、 1100 円で買ったのと同じような「フジリンゴ・6個入り」が、何と 69 0 円である。昨日買ったばかりで……と買わなかったが、今思えば、買っておけばよかったなぁ……と後悔している。 それはともかく、菓子パンのたぐいなど、「買おうかどうしようか」とさんざん迷ったあげく、最近少し食欲が出て、体重が増えたし、冷蔵庫には「甘いもの」がたくさん入っているし……というわけで、結局何も買わずに出てしまった。 「判官びいき」ではないが、リンゴは安いし、すいているし、丸正みたいにつぶれてはかわいそうだし、次回徳見と買物に来るときは、まず三徳に……と思うが、大した距離ではないけれど、駅から登り方向にあるのが、車イス使用者としては、何となく足が向かないのだ。 買物は1にサントク2にオーケー 3・4がなくて5にトウキュウ

5月28日(木)内科通院(そよ風クリニック)・魚べい

  月に1度の内科通院 。タクシーで行けば、役所からタクシー代が出るけれど、わざわざサキに送迎を頼むのは、帰りにゆっくりと食事や買物をしたいからである。 11:30 薬局で薬をもらい、サキの車で、港北東急へ。前回(4 .23 の項)は1階の「コメダ珈琲店」に初めて入ったのだが、何となくさえなかったので、5階の回転寿司「魚べい」に行く。徳見は、以前行った隣の「バケット」の「パン食べ放題」に行きたいようだが、残念ながら、私がそんなに食えないのだ。 久しぶりの魚べいは、すいていて、すぐに入ることができた。ここには「平日限定、ラーメン 90 円」があって、安いものが好きな……ではなく、安くておいしいものが好きな徳見は、必ず注文する。「今日はどうだった?」と聞くと、「そうでもなかった……」という。前回も同じような会話をしたから、次回もまた注文するはずだ。 今日も、3人でハラいっぱい食って、 2200 円ほど。そういえば、3日前に「くら寿司」で、同じメンバーで食べたとき(5 .25 の項)は、 3300 円あまりだった。しかも横浜の「港北東急」内と、八王子の「田舎(失礼!)」という立地条件の違いを考えれば、「やっぱり魚べいは安いねぇ……」と感心してしまう。味だって(私の味覚によれば)違いは分からない。 ゆっくりと食事の後は、地下1階のスーパー「ロピア」で買物。しばらくぶりなので、あれやこれやと、買物かごにあふれるほど、 9000 円近く買ってしまう。さらに、1階の「カルディ」で、徳見の朝食に欠かせない「冷凍ブルーベリー」4個 3000 円買い、港北東急を出る。 徳見は昨日から、「(青葉台の衣料品店)パレットへ行きたい」と言っていたので、「これから行こうか?」というと、「疲れたから帰る」とのこと。 こうして、帰宅後は、ゆっくりと休み、夕食をし、チターの練習をして、今日も1日が終わった。 買物が「つまらなくなった」とつぶやいて 買物困民徳見買い溜め

5月27日(水)名前のない家事

今日も朝からいい天気で、徳見は朝食をいつもの通りすませて、いつもの通りすぐベッドへ。私は、片付けなど終えると、コンニャクを仕込む。といっても、ネットで購入したコンニャク粉を 50g 計って、 1500cc の水に溶かすだけである。それが終わると、9 ;30 過ぎ、「朝寝」をする。  1時間ほどして目が覚めて、下におりると、やることがたくさん待っている。先日(日曜)採ったサンショの枝から、葉や実をもぎとる作業の続き。葉は洗って、新聞紙に広げて乾かし、ビンに入れてしょうゆ漬けにする。実は軽くゆがき、乾いたら小瓶につめて、これもしょうゆ漬けにする。溶けきったコンニャクをかきまわし、凝固剤を加え、バネ指に気をつけながら練ること数分、型に入れて、1~2時間放置してから、適当な大きさに切って煮る。キュウリやゴーヤ、あるいはトマトなどに水をやったり、今朝届いた産直野菜の整理し、ソラマメやインゲンをゆでたり……、その他「名前のない家事」――例えば、時々起きてくる徳見からの頼まれごと( ex 、窓辺のハトのエサやりとか、氷水を作るとか)、そして、昼食の準備・夕食の支度。夕食のあとは、徳見と2人でチターの練習……。  こうして、あっという間に、1日が過ぎてしまった。  毎日が充実してるか問われれば 朝寝昼寝ができる幸せ

5月26日(火)いわい整形外科・通院交通費問題

今朝から、右手同様、左手の親指も、第一関節がカクカクする。ちょうど徳見の通院の日なので、前回(5 .19 )に引き続き、私も診てもらう。徳見はすぐに奧の「リハビリ室」へ行くが、私は、受付にいるオオイシに「左手も……」というと、「診察が必要だ」とのこと。見ると数人が診察を待っている。「時間がかかりそうだな……」と思い、「チカコ先生(副院長)でもいいよ」と言うと、オオイシは、パッと席を立って奥へ行く。どういうシステムになっているのか分からないが、数分するとチカコ先生に呼ばれて、診察となった。 診察といっても「バネ指」であることを確認するだけだが、日常生活上での注意など、細やかにしてくれる。治療は、左右親指のつけ根にキセノン光をあてる温熱療法と、鍼灸師アベのハリである。 私の両腕に針を数本刺して、アベは、カーテンで仕切られただけの隣の「治療室」にいる徳見の治療にかかる。私の治療はわずか数分だが、徳見の治療は、今回の旅行で新幹線の座席に車イスが入れなかったことをめぐって、話がはずんでいる。アベは「新幹線には車イス専用の座席があって、介助者用の席もあり……」などと詳しい。 やはり、今回、新幹線の指定席に座れなかったという問題は、私の側に「車イスだから、当然やってくれるだろう」という「甘え」があったようだ。 様々な「制度」が作られ、それを使う「権利」があったとしても、黙っていてそれを使えるわけではない。 そういえば、昨年9月に私が運転をやめてからは、「いわい整形」に通うタクシー代は自費だった。この4月、市のケースワーカーが来て、話のはずみで !? 「通院交通費は、生活保護の制度で支給できる」ともらしたので !?  請求することができたのだった。 ついでにいえば、「いわい」のヒグチは、「さかのぼって請求できるはず……」という。ケースワーカーに電話すると、「2か月だけ……」とのこと。こんなことも、こちらから聞かないと説明しないのだから、「制度」があっても、使わせる側は、なるべく使わせたくないらしい。この「2か月だけ」という条件だって、「なぜ2か月なのか」と追求すれば、いくらでも変わる余地はあるはずである。やはり「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」のだ。 学校は義務教育というけれど 受ける権利と与え...

5月25日(月)多摩プール(7)

  おとといの土曜日、2泊3日の「小旅行」から帰宅したが、旅館もナオコの家もベッドではないので、寝起きに足を酷使したりして、夜中に足がつったり、何かと疲れて、今日はプールに行けないかも……などと思っていた。しかし、昨日1日のんびり休んだおかげで、今日はプールへ行けるという。 9 :00 、車イス業者が、新しい車イスを2台持ってくる。そのうちの1台を試乗してくれという。前輪が壊れた車イスは「回収する」というが、事情を説明して、「もし裁判になったら、証拠になるから……」というと、「いつでもいいですよ」とのこと(たぶん、裁判にはならないと思うけれど……)。 10:00 いつものように、サキが車で迎えに来たので、新しい車イスを積んで、多摩プールへ向かう。 途中、多摩プール近くにある「業務スーパー」で買物。久しぶりなので、あれこれ 5000 円余り買い込んでしまう。 多摩プールでは、サキはプールに入らないので、待っている間、今日の新しい車イス用のカバーとして、「自転車カバー」を買ってきていただく。 今日は、周辺の小学校が、運動会の代休とのことで、子どもたちがたくさんいて、にぎやかだったし、この程度の数ならば、見ていても楽しい。思わず「楽しそうだねぇ!」などと声をかけると、「うん、楽しいよ!」と、元気な声が返ってくるのもうれしい。 徳見は、 37 度のリラクゼーションプールで温まり、温水プールで歩行したりするのを数回繰り返すのだが、今日はさすがに疲れが残っているためか、いつもより早めにプールを出るが、それでも時間は1時を過ぎている。 待っていたサキと、今日は彼女の希望で、「くら寿司」で食事。私はこのところ大分食欲が出てきたようで、3人で 3300 円余り食べて、徳見は「こんなに食べたのに……、安いねぇ!」などとつぶやく。 多摩プール小学校の子どもらが 親引き連れてバッシャバシャバシャ

5月23日(土)JRと交渉/帰宅

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   ナオコに飯山駅まで送ってもらい、 10:33 はくたか 558 号、金沢発・東京行きに乗る。通路を車イスが通れないことが分かっているので「自由席」である。幸い、すいていて、徳見も座席に座ることができた。 12:20 東京駅に着き、まずは、往きの「指定券」の払い戻しを交渉してみる。 前回買った切符売り場の窓口へ行く。「指定席を買わされたけれど、通路が狭くて車イスが入れず、指定席に座れなかったので、払い戻ししてほしい」旨を言うが、けんもほろろの対応。やっと3つ目の窓口で「責任者を呼びます」となって、「東京駅内勤・増田光司」というJRの職員らしい人が出てきて、「交渉」するが、「説明不足で申しわけない」と謝罪しながらも、「返金はできない」という。 それ以上「交渉」の余地はなさそうなので、次のように一筆書いていただいて、この件はとりあえず、終わりにした。 これが、徳見一人だけの問題ではなく、車イス利用者全体にかかわる問題だとしたら、弁護士を立てて交渉し、決裂ならば裁判、ということもありうるけれど、そこまでやるべき問題かどうか? 増田の話では、車イスと分かっていれば、車イス用の座席があるとのこと。こちらが「車イス」と言わなかったので、気がつかずに切符を売ってしまったらしい。したがって、こっちにも「落ち度」があるわけだ。今回はそれが分かっただけでもよしとすべきかもしれない。   ちょうど東京駅で食事時間だが、それらしいレストランが見つからず、例によってウロウロと歩き回って、横須賀線のホームにたどりつく。横浜駅について、食事をしようかと、ホームを出て少し歩くが、それらしいところがなく、またも、ウロウロと歩き回って、市営地下鉄にたどりつく……。こうして、結局、家に帰って、「残り物」の食事をして、2泊3日の「旅」は終わったのだった。  「障害者」のジイさんバアさん旅に出る 帰ってみればただの日常

5月22日(金)木島平・ナオコ方

   ホテル豊生は、思いがけず大きな旅館で、どこかに「定員 120 人」と書いてあったが、昨日車イス修理中に、観光バスが着いて、2~ 30 人のジイさん・バアさんがゾロゾロと入ってきた。 「朝食バイキング」は 100 人も入れそうな大部屋で、席は半分ほど埋まっている。昨日の夕食は、 10 人程度の部屋に2組しかいなかったので、その落差に驚いてしまう。 料理もたくさん並んでいる。徳見はシューマイやサラダ類・ウィンナーなど2~3品を皿にとって、少し食べて、「牛乳はおいしい」といっておかわりをする。私は「素泊まり」なので、食べるわけにはいかないが、持参のパンに徳見の残り物をはさんで「処理」する。   9:30 ごろ、ナオコが軽ワゴン車で迎えに来る。木島平から 30 分足らずだという。湯田中温泉といえば「温泉に入る猿」が有名で、さっき旅館の車が客数人を乗せて見に行ったので、ナオコに言うと、「車イスでは近づけない」と、「小布施のフローラルガーデン」へ向かう。  ちょうど「来客用の車イス」があったので、それに乗り換えて、きれいに手入れされて、色とりどりの花が咲いている「ガーデン」を、ナオコに車イスを押してもらって「散歩」する。  徳見は、「クモ膜下」以後、自分で外へ出て、植えたり、手入れができなくなってからは、あまり草花に対する執着が弱くなったようで、今回も、「きれいだねぇ……」などと、通り一遍眺めると、「どこかでお茶でも飲みたいねぇ……」などとつぶやく。  「そろそろお昼も近いし……」と、木島平へ帰る途中にある道の駅「千曲川」に寄って,「カフェ里わ」で、のんびりとランチやお茶などしてから、「物産コーナー」を一回り。リンゴが安い! 買って帰りたいが、車ではないのが残念。以前何度も長野に車で来たのに、あのころは干しリンゴを作ってなかったから、リンゴには目もくれなかった……。 木島平のナオコ宅へ到着する。  ここに来たのは、 2016. 8に、ナオコの母・カツコが、新百合ヶ丘病院に入院し、「手術不可能」として退院して、私が車で送ってきたのが最初だった(カツコは、その2か月ほど後で亡くなった)。その後2~3回遊びに来て、 18. 4に来たのが最後だから、8年ぶりだ。  ナオコの連れ合いや子どもたち3人とも、久しぶりに会って、楽しい時間を過ごした...

5月21日(木)湯田中温泉

 今日から全国的に雨予報で、朝から強くなったり、弱くなったりの雨の中、 10:00 タクシーを呼んだころには、ちょうど雨も弱まり、あざみ野駅から市営地下鉄で横浜へ。JRへの乗り換えにウロウロして、交番できいたりして、やっと京浜東北線に乗る。徳見は「横須賀線なら早いのに……」と、ボソッというが、後の祭りで、東京駅に着いたのが 11:30 近く。何とか新幹線の切符売り場にたどりつく。「長野、障害者割引、2名」というと、切符売り場のお姉さんは、手際よく、「 12:04 発、長野行き・あさま 611 号」の切符を各2枚、そのうちの1枚には、指定席が書かれている。発車まで 10 分もない。「東京駅で昼飯でも……」などという目論見はもろくも崩れ、急いでホームへ向かう。  さて、指定の8号車をめざすが、入口のドアが狭くて、不吉な予感……。しかし、かろうじて乗ることはできた。さて、目的の 10 番D席は……と、客席に入ると、なんと通路が狭くて、車イスで入ることができない! しかたがない、このままデッキで過ごすしかないか、と覚悟する。すぐに発車のベルが鳴る……。そのとき、徳見が「トイレどうしようか」とつぶやく。今いる8号車と9号車の間のデッキにはトイレがない。さて、どこにあるのか、動き始めた電車の中を、次の9号車と 10 号車の間のデッキへ行くと、トイレがあった。  しかし、徳見の車イスは車内を通ることはできない。このまま2時間近くトレイをがまんできるわけがない……。さて、どうしようか、困ったなぁ、などと思っているうちに、次の上野に着いた。ここで、下りて、次のデッキを移るしかないけど……と思っていると、車外のアナウンスで、「停車時間は2分」という。幸い、荷物は私の背中のリュックと、車いすの背中にあるだけで、おろしてはいない。乗降客もいない。徳見に「2分あれば、大丈夫だよ!」と、急いでホームに下りて移動する!   こうして、徳見は、トイレ近くのデッキで、安心して 1:30 ほどの「旅」を満喫した……はずはないか !?  それでも、上田近くになると、赤ちゃんを背負った若い母親と「交流」など楽しんだようだから、よしとしようか。  私は、 10 号車の指定席の、なるべくデッキ近くのあいている席に座る。やがて、高崎に近づくと、車掌が来て、「ここは、高崎から乗る客の席だ」という。...

5月20日(水)チター教室

 9 :30 に「都市交通」に電話してタクシーを呼び、あざみ野駅から田園都市線・地下鉄半蔵門線・都営地下鉄大江戸線を乗り継いで、「都庁前駅」でおりて、地上に出る。そこから車イスを押して7~8分で、目的の住友ビル(通称三角ビル)に着く。もう 12:00 に近い。  すぐに、地下のレストラン「 Dishers 」へ。とくに「うまいもの」があるわけではないが、ドリンクバーが 400 円なので、ここ数回はこのレストランの常連である。 30 分あまり、二人でのんびりカフェラテを数杯と、ピザを食って、 1500 円払う。普通なら1人分の食事だが、今の私と徳見では、これで十分なのだ。   10 階の「朝日カルチャー」へ行くと、もう 12:30 。すでにロビーで、ワタナベ先生とフジイが何やら話をしているので、こちらはあいさつだけして、すぐに教室へ入る。   徳見は、 2000 年3月、レッスンを始めた(4 .30 の項)。その時の教室は、横浜そごうの 10 階・読売カルチャーセンターだった。第2・第4土曜日の 10:30 ~ 12:00 で、そのころは、 20 人ほどの生徒がいて、4グループに分かれて、ナイトウ・ワタナベ先生が指導していた。 横浜教室は、しだいに生徒が減って、 2018.9.22 をもって終了となった。この時の生徒は、サイトウ・アキモト・徳・嶋の4人だった。  その4人のうち、アキモト・徳・嶋の3人が新宿教室に移り、、 2018.10 から 10 人の生徒となった。しかし、新宿教室も、この8年間に次第に人数が減って、現在、フジイ・ネギシ・アキモト・徳・嶋の5人となってしまった。  徳見は、「チターをやめたら、ボケてしまう」と、抗ガン剤治療で青息吐息( !? )の嶋田の背中に鞭打って(いえ、背中にチターを背負わせて)、横浜からはるばる2時間以上かけて、月に2回、新宿まで通うのであった。  ボケ防止チター抱えて二十余年 歳には勝てずボケがはじまる

5月19日(火)北部病院眼科・徳見家の朝食/いわい整形外科

   昨日は 10:00 採血、 11:30 診察、その後点滴というスケジュールだったので、 9:00 過ぎに家を出ればよかったが、今日は9 :30 診察予約である。眼科は診察前に必ず検査があるので、 30 分前には病院に着きたいので、8 :30 には出発したい。  徳見家の朝のスケジュールは、 2005 年に裁判がすべて終わってからは、ほとんど変わっていない。特別の用がない限り、7 :00 ~7 :30 ごろ起きて、朝の「おつとめ(洗顔・トイレあるいは新聞を読んだり、時には外の植物に水をやったり……などなど)」をしながら、朝食の準備――徳見の朝食は、冷蔵庫から、「四つ葉牛乳」や「手作りヨーグルト」、私が煮た小豆、「カルディ」で買った「冷凍ブルーベリー」、そして、私が作った「干しリンゴ」を取り出すだけだ。  なお、このヨーグルトは、 1998.12.24 「リハ裁判」のときに、新美弁護士夫人からもらった「ヨーグルトキノコ」というものだ。あれから 28 年間、 1 日おきにヨーグルトを漉しては牛乳を加えて作り続けてきたことになる(その後、弁護士夫人も含めて、何人かに「種菌」をさしあげた……)。  私の朝食は、5 . 8の項に書いた玄米と、前日解凍しておいた納豆、私が煮た大豆、バナナ 1 本、きな粉、そして手作りヨーグルトである。これを全部混ぜて食べるのだが、この食事は、余人には想像を絶するらしく、いつか徳見の娘ハナが泊まって、これを見て、びっくり仰天のあげく大笑いが止まらなかったことがあったので、以後彼女は、我が家に泊ることをご遠慮願ったのである。  こんな食事をしているから、胃ガンになったのか、因果関係は不明だが、抗ガン剤のために、食欲不振になっても、この朝食だけは、相変わらず続いている。最近では、さらに梅干しと、作りそこなったキンカンの甘露煮も加わったのだから、ハナが泊まりに来ることは決してないだろう。  食べ始めるころ(あるいは食べている最中)には、ちょうどNHKの朝ドラが始まるので、それを見ながら朝食である。私がテレビを見るのは、徳見と食事をするときだけなのだ。しかし、ここ3~4年、徳見は、朝ドラのストーリーがよく分からなくなって、「つまらない」と言って、ほとんど見なくなってしまい、関係ないことをあれこれと話しかけるので、私のほうも...

5月18日(月)北部病院点滴

   昨 25.10 から、 26. 3まで、3週間に1回程度のペースで7回、抗ガン剤の点滴をして、以後体調不良のため、中断していたが、2か月ほどたって、体調も回復したので、今日から再開することになった。キイトルーダ(免疫チェックポイント阻害薬)とオキサリプラチン(DNA合成阻害薬)の2つを点滴してきたが、副作用が強くなり、最後の1回と今回はキイトルーダだけになり、時間も正味 30 分程度となった(その前は2時間)。  点滴のほかに、「S-1(エスワン)配合剤」という「飲み薬の抗ガン剤」も併用されている。処方は朝夕各2錠だが、ドクターは「調子が悪ければ1錠、あるいは飲まなくてもいいよ」とのこと。これまでは2錠飲んだり1錠にしたりしてできた。  ドクターは、「 84 歳という年齢だから、無理して、副作用で寝たきりになったら、元も子もないから……」と言うが、「体が元気になるというのは、ガンも元気になることだよ」とも言う。とにかくガン細胞も自分の細胞だから、何とか「共生」を模索し続けることになるのだろう。    通院はバスと電車と徒歩 10 分 3週間に1度点滴

5月17日(日)陶芸・チター

 毎月第3日曜日は、近くの「地域ケアプラザ」で、「陶芸クラブ」である。 2016 年9月に、「広報」を見て、私一人で参加したのだから、ちょうど 10 年になる。徳見は、それから3回あとの 11 月から参加。メンバーは 10 人たらず。 10 年間でメンバーも大分入れ替わったが、指導者・カジヤの熱意で続いている。  徳見の左手は、「小学校低学年並みの握力」と、 30 年前に横浜リハセンターで判定されている。右手も頚椎症のため、少し使いすぎても、すぐにマヒ・痙攣がおきてしまう。その後、くも膜下出血で倒れてからは、老化もあいまって、陶芸の夜は、チターの練習ができない。  それでも、カジヤの助けのもとに、何とか器を仕上げ、気に入った器ができると、来る人ごとに見せては、自慢して、さしあげてしまい、幸い !? 手元にあまり残らず、何とか食器棚は納まっている。  今日は、 12 時まで陶芸をやって、いつもは持参の弁当(徳見はいつもコンビニサンド)で「食事会」だが、今日は、カジヤが「仕出し弁当」を買ってきて「会食」である。その後、徳見・嶋田による「チター演奏会」。 1 年前の 25. 2に引き続き2回目だが、今日はタナカのギター演奏が続いた。  うまいへたはともかく、こうして、いつもと違う雰囲気での「交流」が楽しいらしく、「次回は……」ああしようか、こうしようか、なとという声もあがり、まだチターは飽きられていないらしい。  ところで、昨日サオリと採ったサンショの実と葉の残りを、陶芸に持って行ったところ、誰がどれだけ持って行ったか分からないが、全部なくなってしまった。  帰宅後、葉っぱが少し残っていたので、夕食前に、葉を枝からもぎとり、洗って新聞紙に広げて乾かす。2つ折りの新聞紙にちょうど収まるぐらいだが、この程度では、小瓶に半分にもならないので、また採らなくてはならないかなぁ……などと思案しているのであった。  チターよりサンショの実と葉が人気あり 陶芸グループお料理談義

5月16日(土)サオリ来訪/山椒の実採り

 先日の 10 日にフキを持って帰ったサオリが、そのフキを使ってキャラブキを作って持ってきてくれる。見ると本格的なキャラブキで、味もいい。こんな見事なキャラブキをサオリが作れるはずがない(失礼!)ので、きっとサオリ母が作ったに違いないが、つい聞きもらしてしまった(ちなみに、サオリ母は 89 歳とのこと)。  徳見家の裏山のすぐ目の前にサンショの木がある。数年前に、さらに奥のほうにあったサンショの木から実をとって植えたところ、何株か芽を出したのが育ったのである。サンショの木は雌雄異株(しゆういしゅ)で、たまたま目の前の山に植えた木が雌の木で、毎年実がなる。葉や実を醤油漬けにしたりして、冷蔵庫に何年も !? 眠ったままになっていたりするが、先日サオリに味見してもらったところ「おいしい!」と叫んだので、今日採ることになった。  サオリが来る前に、高枝切りで、枝をバサバサと切り落とす。若ければ何ということもない作業だが、何しろ8 5 歳ともなると、斜面での足の踏ん張りも心もとない。その上、長い高枝切りを操るのだから、一歩誤ると致命傷になりかねない。慎重の上 にも慎重に……というわけで、なんとか無事に作業を終えた。   徳見・サオリそして私の 3人で1時間余りかかって、ざっと実を取り分ける。お椀2杯分、 312 グラムの収穫で、サオリは実を 100 グラム、そして葉っぱをポリ袋に詰め込んで、持って帰った。  サンショの木 すっくと立って 風さやか  

5月15日(金)いわい整形外科

 「いわい整形」は女の牙城である。院長のイワイ Dr. 以外、副院長の院長夫人をはじめ、鍼灸師2人、その他4~5人いるスタッフはすべて女である(そういえば、男の鍼灸師がしばらくいたけれど、いつの間にか消えた)。 17 年間通っているが、院長・副院長は当然ながら、鍼灸師アベと、スタッフのヒグチ・オオイシ以外はすべて代わっている(もう一人シノという若い人がいるが、結婚して子育ての都合で、午前中だけ来ているとのことだったが、徳見はいつも午後からなので、最近聞いていないので不明である)。  ところで、今日久しぶりで、ヒグチに声をかけた。  例の「コロナ騒ぎ」が一段落して、マスクをつけるかどうかは各人の自主判断になったころ、マスクが嫌いな私は、これ幸いとマスクをつけずに行った。ところが「病院ではマスク着用」という原則があって、徳見の診察を待っている私のところに、ヒグチ・オオイシ、そして鍼灸師のアベまで来て、マスク着用を迫ったのであった。やむなくマスクを着けたけれど、以後、この3人とは一切口をきかないことにしたのである。まあ「大人げない」ジイさんのささやかな抵抗というわけだ! 私は徳見の介助者という立場だから、私が口をきこうがきくまいが、何の影響もないわけだから、つまらない意地を勝手に張っただけのことだ。  ……で、前回来たときに、受付のヒグチが休んでいて、彼女の定席には、A(最近は名札をつけていないので名前不明)が座っていた。Aに「出世したねぇ……」などと軽口をたたいたりしたのだが、今日ヒグチが出てきていたので、何年ぶり !? かで、「先日休んでたねぇ、もう体治ったの?」などと声をかけたのである。  彼女の驚きぶりはおかしいほどで、シドロモドロの対応だったけれど、さすがにそれも一瞬で、「ありがとうございます」とていねいに謝意を表して、「和解成立」となったしだいだけれど、これも私の思い込みにすぎないかも……。  すぐ隣にオオイシがいて、この顛末を見ていた。彼女がどう思ったか分からないけれど、次回は、彼女とも「和解」しようか思ったりしているので、その報告ができるかも……。  マスクして ツバを吐いたら 鼻がぬれ

5月14日(木)ベランダ菜園

 朝から上天気で、植木の水やり。バケツに残っていた水がほとんどなくなり、風呂の残り水を「水ポンプ」で汲み上げて外へ出す。徳見の部屋の東側のベランダには、夏の日よけのために、毎年「緑のカーテン」を植えている。一昨年はゴーヤ、昨年はブラジルの「ジロナス」を植えたが、これは日よけにはならなかった。今年はまたゴーヤにしようかと、昨年とっておいた種を「苗床」に植えたが、まだ芽が出ず、とりあえず、先日キュウリの種を買ってきて植えた。キュウリは成長が早くて、あまり日よけにはならないのだが……。すでに2~3粒、芽が出ている。  南側にも、大きなプランターをいくつか作って、いろんなものを植えるが、毎年シソが勝手に生えてきて、今年も数限りないほどだ。その合い間に、ミニトマトの苗を植えた。この苗は、昨年の夏の最中(さなか)、スーパーで買ったミニトマトがおいしかったので、「間に合うかな?」と思いつつ、種をとって植えた。案の定、ほとんど青いまま冬になってしまったが、かろうじて何粒か赤くなったものから種をとって、この春まいた。それが 10 株ほど、シソの群落の中で、元気に育っている。  昨年までは、ハヤトウリ・カボチャ・ヘチマ……など、いろいろと、すべて種から育ててきたが、今年はさすがに、高齢化と抗ガン剤などもあって、とても体力・気力が続かない。昨年からの「惰性」でやっているような気分で、「もう今年で終わりにしようかな……」などと弱気になったりするが、やはり、種を植えて芽が出ると、つい熱中してしまう。  たぶん今年も、キュウリやゴーヤ、あるいはトマトの成長と共に、山からシノ竹を刈ってきて、支柱づくりに精出すに違いないと、水やりをしながら、思ったりしている。  種まいて 土の香りを 確かめる

5月13日(水)カッパの会

   徳見は、昨日から微熱とだるさで、「今日は行かない」という。徳見が行かないと村田夫人が女性ひとりで、がっかりすると思い、しきりに参加を勧めるが、こういうときは、ガンとして受けつけないのが徳見である。  約束の橋本駅に着くと、結局、村田夫人は不参加で、村田・嶋田・林・松沢、そして國澤(到着順)のジィさん5人。結果的に徳見は来なくてよかった……。 いつもの中華料理店「謝朋殿」で、 1500 円程度の料理をそれぞれ1品。5人ともきれいに平らげて、 13:00 過ぎから、 16:00 まで、3時間近く、サービスのお茶を何度もお替りして、おしゃべり。例によって話はとりとめもない。畑の収穫の話から、古文書の話、古本屋談義、柳田国男や夏目漱石、認知症やら、年寄りが集まれば必ず出る病気や医者の話、そしてそれぞれの「ガン自慢」などなど、いつまでたっても、話は尽きそうにない。こんなとりとめもない話のどこが楽しいのかよく分からないが、「人間って不思議だよなぁ、やがて消えて行ってしまうのに……」という 89 歳の國澤の言葉に、一同何となく共感を示したのは、みんなそれぞれに「自分の死」というものを実感として感じられるようになったということなのだろう。 後日(5 .16 )林から「感想」メール 早々に写真とブログを送っていただいてありがとう。「カッパの会」がどんな経緯で始まったのか、年齢も若い村田さん、松沢さんと貴兄がどんないきさつでこの会をやるようになったのか、なんでこんなに長くつづいているのか、 4 月 29 日に貴兄がくれたメールにちゃんと書いてあり、ぼくはそれを一回読んでいるのに、ボケ始めたぼくの頭はそれをしっかり筋道だって記憶の中に定着することなしに、貴兄と國澤さんに会うために橋本での会に参加したような気がする。だから、最初は何を話したらよいのか、自分の耳にとどいてくる言葉や会話をどう理解したらよいのか、薄らぼんやりと受け止めていたような気がするけれど、しかし、そこはみんな長い人生を生きてきた人々で、お互いに関心があるような、ないような会話でも、言葉をやり取りしているうちに、なんとなく話が交差するようになるから不思議で、それなりにお互いを理解し、受け入れることができるようになったような気がする。ぼくには、それはそれで楽しいひと時でした。貴兄がメールでいっていた...

5月12日(火)いわい整形外科

    2009. 2月に徳見が「くも膜下」になって、4月退院。その後9月に入ると、右手の甲が赤黒く腫れあがって、聖マリの主治医・長島先生は、「すぐに整形へ行け」とのことで、近くの「水野整形外科」へ。何度か通院したが、あまり気に入らず、ネットで検索して、 10. 6に「いわい整形」行く。  それ以来だから、もう 17 年になる。今日は、温熱・ハリ・ SSP ・置き針、そして岩井 Dr. の診察と、フルコースだった。  昨年9月に私が車の運転をやめてからは、往復タクシーである。片道 3000 円前後。生保の担当者が、通院費支給制度を教えてくれて、2月から適用されることになった。  針治療効いているのかいないのか  17 年を生きた確かさ

5月11日(月)多摩プール(6)

  3週間ぶりのプール。2週間前の4 .27 (月)は、前夜から激しい雨で、朝、徳見不調で、プールキャンセルしたが、その後雨が上がり日も出て、結局、サキにメールして、青葉台東急スクエア内のインド料理店で食事などする。先週の月曜は、連休で、サキが来られなかった。 今日は、 10 組程度の親子連れでにぎやかだったが、うるさいほとではない。近くの学校が、土曜日に「父母参観日」で代休なのだという。 徳見のプール「介助」は、3月9日以来、6回目になり、大分様子が分かってきた。徳見の体調維持には必要だと思うが、私にとっては、今のところ大して役に立つとは思えないけれど……。  しかし、徳見の「プール願望」は強く、最も古い記録では、 92.8.7 小鷹(ヘルパー)と北部プールへ行っている。 96.5.2 に今の住所(青葉区)に引越してからは、施設問題で知り合った小山内さんに町田プールへ連れて行ってもらい、その後、今の多摩プールを知って、 2004 年ごろから、私が「プールボラ」を乗せて、通うようになった。  近くに横浜市のプールがあるのに、なぜこんな遠くの、1時間もかかるプールに通っているのか。  結論を言えば、横浜市は、「横浜市リハビリテーションセンター」が管理する「ラポール」内に、障害者用のプールがあり、そこでは、至れり尽くせりのサービスが提供される。障害者はすべてそこへ行けというのだ。したがって、他のプールは、障害者用の「サービス」は全くといっていいほどない。たとえば、最も近い「北部プール」は、大きなプールが1つだけ。そこに入るには(スロープなどはなく)、鉄の梯子を上り下りしなければならない。腕の力の弱い徳見にはなかなか困難な作業だ。  いろいろなプールへ行ったが、どこも似たような状況で、多摩プールのように、障害者・徳見に使いやすいところはない。  徳見がなぜ、近くにあるラポールの「障害者用プール」に入らないのか。  横浜リハセンターでの事故で、裁判までやったこともさることながら、「障害者を集めて、隔離し、管理する」という横浜市――に限らず、今の社会の障害者差別政策の象徴のようなラポールのプールには、絶対に入りたくないのだ。  ――というわけで、 20 年以上も、私が運転して、「いろんな人」にプール介助を頼んで、待っている間、私は、...

5月10日(日)サオリ来訪/フキ採り

   4月 28 日の項に書いたように、ふと思いついて、ラインの最後に残っていたサオリに、ダメもとで送信したところ、思いがけず、すぐに返信があり、今日来訪した。 私のやっていた塾には、小学校低学年のころ、春休みか夏休みにちょっと来ただけだったが、姉(ナオミ)と兄(チヒロ)、とくにチヒロから、塾の楽しさをいろいろと聞いていたらしい。 2010 年3月6日の「カッパを偲ぶ会(5月8日の項参照)」で、きょうだい3人で参加してから、しばらく、徳見家にきたり、プールに行ったり、バイキングを食べに行ったりしたことがあった。しかし、仕事が忙しいのか、何となくそれっきりになってしまった。今日、 13 年ぶりの再会である。 当時は派遣の仕事で忙しかったようだが、今は、「(先ごろ亡くなった)叔母の介護や、(同居している)母の介護で、仕事はしていない。しなければいけないのだけど……」という。「姉は孫が5人いて……、兄は心筋梗塞で亡くなって……」などなど、あれこれと「積もる話」なとして、「山」のフキを、楽しそうに採って引き上げる。 里山に 人現われて フキを採る 

5月9日(土)眼科通院

   私の「眼科通院」だが、徳見も一緒に行くことになる。ハナとマコトが病院に来て、一緒に食事・買物をすることになったためだ。8 :30 すぎ、都市交通に電話して、タクシーをよぶ。「山越え」のコースはタクシー代が 500 円ほど高くなり 1850 円。  あざみ野駅から地下鉄でセンター南駅へ。9月に私が車の運転をやめてから、徳見は電車にはすっかり慣れたようだ。駅から横浜市北部病院までは、ほぼ平坦な道で、車いすを押しながら、 10 分足らずで着く。2~3か月前には、足を引きずりながら、 30 分近くかかっていた。とにかく、今は、3月末に抗ガン剤をやめてから2か月近くになるので、けっこう体調は良い。しかし、久保田 Dr. の「体が元気になるというのは、ガンも元気になることだよ」という言葉が耳を離れない。まもなくまた、抗ガン剤治療が始まる。さて、どうなることか……。   10:00 診察予約で、 11:10 ころには診察が終わったのだから、まぁ早いほうか。 12 月 27 日、右目がヘルペスに感染したことが分かり(4 .25 の項)。その後の治療でヘルペスは治ったはずだったが、「軟膏をやめたために、帯状疱疹によるヘルペスが再発してしまった」とのこと。まだまだ治療は続きそうだ。 10:30 ごろには、マコトが到着し、 ビバホームで鳩のエサを買い 、スシローで食事。以前は2~3個しか食べられなかったが、今日は、5~6個に、ラーメン少しとスィーツ2個食った。 抗ガン剤ガンを殺せば人も死ぬ 共に生きよう「障害」かかえて

5月8日(金)白米と玄米/林メール(カッパの会参加)

   もう半年以上前になるが、私が「干しリンゴ」を作ると、徳見の大好物となって、毎朝食べている。そろそろ残り少なくなってきたので、近くの「あざみ野ガーデンズ」のスーパーへ……と思ったが、徳見と二人、ゆっくりと朝食をし、後片付けやら、薬を飲んだり、ゴミ出しをしたり、あるいは書類を書いたり(これについては、いずれ書くことがあると思う)、何やかや「名前のない家事」をしているうちに、 10:30 を過ぎてしまった。   12:30 には、ヘルパーが来るので、それまでに昼食をすませて、片づけを終えなくてはいけないので、「散歩がてら」と思っていたが、今日も自転車で行くことになってしまった。  「ガーデンズ」のスーパーで、揚げ物やソーメン、リンゴ・ミカンなど買って、帰る途中にあるシャトレーゼで、お菓子類を購入。私は、昔から甘いものはほとんど食べなかったのだが、ガンのために食欲不振になって、甘いものならば何とか食べられるので、カロリー補給の意味もあって、なるべく食べるようにしているのである。  1時間ほどで戻ると、そろそろ昼食の準備の時間だ。もっとも、「準備」といっても、何もすることはない。ただ冷凍庫から「残り物」を出して並べるだけだが、今日は、ソーメン(乾麺)を買ったので、それをゆでる。  鍋に湯を沸かし、沸騰するころ、乾麺を入れ、よくかき混ぜる。混ぜ方が足りないと、麺が固まってしまう。かき混ぜているうちに再沸騰するので、ふたをしてガスの火を消す。そして、そのまま2分、黙って待っている。もちろん、黙って立っているわけではない。2分タイマーをかけて、食器を並べたりする。  2分経って、タイマーが鳴ったら、おもむろにふたをとって、念のため、ゆであがったソーメンを1本すくって口に入れ、ゆでぐあいをみる。あとは、水ですすぐだけだ。  徳見は、昔から「おかず食い」で、「白ごはん」をあまり食べない。もっとも、それは、私の炊くごはんがあまりおいしくないためもあるらしい。まず、スーパーの安い米のせいだ。そのため、炊くときに、「安い米3カップ」に、「もち米1カップ」を混ぜて(これなら、高い米のほうがかえって安くつくはずだ!)、5合炊きの土鍋に入れて、 15 分ほど浸し、中火でゆっくりと過熱する。水加減は、小指のつま先と第一関節の中間よりちょっと上ぐらいだ。沸騰が終わ...