投稿

9月, 2026の投稿を表示しています

9月30日(水)チター教室

 心配していた左足だが、とくに何事もなく、いつものようにタクシー・電車を乗り継いで、新宿のチター教室まで往復する。レッスン終了後、ネギシ(8 .19 )が、「シマダさん、痩せたわねぇ……」と言う。そばにいたフジイも「どうしたの?」と聞く。とっさに「ダイエットしてるから……」などと、つまらない返答をしてしまう。  どういうわけか、チターの仲間には、ガンのことは何も言っていない。とくに理由はないが、そんなことを話題にするような会話の場もないし、こちらからあえて言うような雰囲気もない。しかし、今日は、吉野先生が、脊椎管狭窄症の手術後、はじめてレッスンに来られたことでもあるし、ネギシ・フジイの「質問」に、素直に答えて、ガンの「告知」をするチャンスだったのかもしれないと、今になって後悔している。そばで、徳見が「何か」言いそうになったが、私の顔色をみて、引っ込めてしまった。トクミさん、ポロッと本音をもらしてもいいんですよ、こういうときは……!    痩せたねと言われて何と応えるか 痩せたのではなくやつれたのだと

9月29日(火)北部病院点滴/ハナ

   今日も朝から雨の中、バス停まで、ノッタラ~ノッタリ~と歩いて 10 分、バス・電車を乗り継いで、病院までまた 10 分歩く。先日の土曜日は、たったこれだけの歩行を、せっせと歩いたためか、夕方激しい足の痛みに襲われたのだった。  ところで、これまで毎回、点滴の前の診察に Dr. の話を一緒に聞いてくれた徳見の娘・ハナが、「体調が悪くて……」と、来なかった。久保田 Dr. が「どうしたの?」と聞く。しかし、医者にハナの体調をどう説明したらいいのか分からない。やむなく「元々体が弱くて……」と言うと、「そんなふうに見えないけど……」と、話はそれで終わった。  8月7日に、私は次のように書いた。「こんな、オトナになった3人の子どもと、連れ合いのマコトも含めて、4人の衣食住の世話をしている母親のハナの苦労は、推して知るべしだが……」。しかし、これは現在の話である。ここに至るまでには、徳見という「厳しい」母親に育てられた子ども時代……、3人の子の母親として、子どもを「きちんと? 正しく? 立派に?」というか、社会が要請するような、あるいは、社会に通用するような、そのような人間に育てるために、それこそ「血のにじむような努力」をしていて、ハタで見ている私も見かねて、つい口を出してしまい「余計なことを言わないで!」と叱られたことも一度や二度ではない。  もちろん、こうしたことは、生活の一部で、家族で過ごす「楽しい時間」のほうが、圧倒的に多いのは事実である。徳見も私も、ハナの家族と、そのような時間(の一部)を共有させていただいて、楽しんできた。  徳見と私は、ただ楽しむだけでよかった。しかし、ハナそうはいかないのだろう。責任感と義務感が、ハナの身体をじわじわとむしばんできていたのではないだろうか。  ――そんなことを、久保田 Dr. に話をしたら、彼は何と言うだろうか。    ジィジと呼ぶ声聞くたびに 安穏と生きてしまった罪思わされ           【1年前の今日⑧ 2025.9.29 】北部病院診察・余命宣告 消化器内科・前田 Dr. 診察。これまでの検査データの結果「抗がん剤をやらないと余命は半年ぐらい。抗がん剤をやっても1年ぐらい。抗がん剤をやって副作用が出たら、動けなくなる……」という。しかし「化学療法...

9月28日(月)多摩プール(19)

 いつもの通り、サキが車で迎えに来てくれて、多摩プールへ。昨日の左足痛みは、とくに何ということもなく、プール介助も、その後の食事も、いつもの通りだった。もっとも、今日は、「歩く」といっても、車の乗降・買物・食事・プール介助程度だから、ほんのわずかである。問題は明日の「北部病院通院」で、これでまた脚を痛めてしまうと、あさってのチターレッスンで、新宿まで行くのに苦労することになるのである。さて、どうなることやら……。  ところで、昨日、ポテトカボチャサラダを作った。ジャガイモ中6個、タマゴ5個、坊っちゃんカボチャ1個を全部圧力鍋に入れて蒸して、ニンジンと玉ねぎのみじん切り、ツナ缶・コーン缶を加えて、マヨネーズであえるだけの「簡単サラダ」である。  今日、帰りにサキに味見をしてもらったところ、「おいしいよ!」と言って、三分の二ほど持って帰った。徳見と二人で「食べきれるかなぁ……」と心配していたところなのだった。     逝く夏に セミも鳴き声 はりあげて

9月27日(日)左足痛み

  昨夕、突然、左足の膝裏あたりが痛み出し、階段の昇り降りにも苦労するようになった。どうやら、北部病院の往復で脚に負荷がかかりすぎたらしいけれど、これまで何度も通院しているし、本当のところ原因はよく分からない。以前から山仕事などで脚に無理な力がかかって、左足の後十字靭帯あたりを痛めたことが何度もあり、そのたびに、医者には行かず、自然治癒力に任せてきた。  今朝起きると、痛みは大分減っている。幸い今日は外出の予定はないが、明日はプール、あさっては北部病院、次の日はチターレッスンと、外出予定が続いている。さてどうなるだろうか、と心配しつつ、いつもの日常生活をしているうちに、脚の痛みは忘れてしまった。  とはいえ、明日からの外出が、これまで通り可能かどうか分からない。しかし「やるっきゃない」ので、徳見には脚のことは何も言わず、いつもの通り、明日もこれまで同様の「日常」が続くはずである……。     ゴキブリが ハトの水飲む ひたすらに

9月26日(土)北部病院眼科「卒業」

   昨年 11 月、両目が「細菌性結膜炎」になり、 12 月、右目がヘルペスに感染した(4 .25 )。以後、ヘルペスと角膜の炎症や傷の治療で、 10 か月近くかかったわけである。今日の検査で視力が右 0.9 、左 1.0 、「角膜混濁がすこしあるけれど、ヘルペス角膜炎ではどうしても残ってしまう」という。 Dr. は「これで、ここ(大学病院)は卒業でいいと思う」と、かかりつけ医(恵愛眼科)あての「紹介状」を書いてくれる。 ……そうか、病気はいつか治って「卒業」するものだ。しかし、私のこの「ガン治療」に「卒業」はないだろう。徳見はよく「治らないから障害なのだ」と言うが、私のように、「治らないガン」は、病気ではなく「内部障害」というわけだ――と、何となく納得する。   名医でも不治の病は治せない 病気ではなく障害だから

9月25日(金)モヤシのナムル

朝から、時々薄日がさす蒸し暑い天気。こういう日は蚊が多いので、長袖シャツを着て、ソーラーパネルの増設作業の続きをする(9 .22 )。古材を切ったり組み立てたりして、ひと汗かいたころには、何とかパネルを乗せる台が完成し、あとは接続コードの到着を待つばかりとなった。 一休みしていると、 11:00 金曜のヘルパー来訪。入浴など終わって、フロ上がりで徳見が一休み横になっている間の残り時間 20 分たらず、「料理が好きで、どんな料理でもだいたいのものは作れる」というので、昨日買ったモヤシを料理してもらう。「それじゃあ、モヤシのナムルを作ります」と言う。その間、私はチターの練習である。 夕方、「いわい整形外科」から戻って夕食。ヘルパーの作った「ごま油とワカメのたっぷり入ったモヤシのナムル」を食べると、さすが、甘みと塩味と酢のバランスがよくて、じつにうまい! と思った瞬間、私はとんでもない大失敗をやらかしたことに気づいた……徳見を見るとナムルを食べて顔をしかめている。そうだ、徳見は酸味が嫌いなのだ。とくに甘酸っぱいのがダメなのだ。そのことをヘルパーに伝えるのを忘れていた! さて、徳見の食べないモヤシのナムルをどうしようか? とにかく酸味をぬいて、味をつけ直そうかと、「水洗い」して、昨日作ったコンニャクを「糸こんにゃく」にして混ぜ、しょうゆやウェイパーで味をつけなおした……が、まるで「油抜きされた目黒のサンマ」もかくやと思われて、これもまた徳見は食わないだろうなぁ……と、確信するのだった。   サシスセソ料理の基本スをぬいて 料理名人酢の物作れ

9月24日(木)内科通院/大戸屋

  このところ、徳見の咳が続いていて、なかなか治らない。もう2か月以上になるだろうか。私は、「しかるべき病院でちゃんと検査してもらったら?……」と言うが、徳見「そんな必要はない」。漢方内科の女医さんは、「う~ん、細菌性のものかどうか、血液検査しましょう」とのことで、とりあえず「咳止め」の漢方薬処方。  薬局で薬をもらって、外出ボラのサキと食事である。いつものように「サキの食べたい店でいいよ」と言うと、あれこれ悩んで、港北東急内の「大戸屋」に決める。私は入ったことはないが、話に聞いていたり、看板を見たこともあって、「この店は徳見の好みではないなぁ……」と思ったけれど、サキに決めさせた手前、ダメとはいえない。  さすがに「繁盛店」だけあって、定食のメニューもボリュームも十分で、徳見さえいなければ !? 満足の昼食になるはずだが、案の定徳見にはどのメニューも気に入らない。それでも、何とか一品選んでもらい、ごはん大盛で、二人で一食注文する。 まずは「ドリンクバーのコーヒーがまずい」から始まって、頼んだ定食もほんの3~4口ほどしか食べず……、これは、私にとっては想定内なので何とも思わないのだが、サキがかわいそうだ。彼女が「おいしい」と思って入った店で、こんなに露骨に「マズイ」と言われては、立つ瀬がないだろう。 ――次回からは、サキに決めさせるのはやめて、やはり私が決めなくてはいけないかもしれないなぁ……などと、そんなことをあらためて確認したのであった。   外食はメニュー選んで食べるだけ ありがたいやらなさけないやら

9月23日(水)秋分の日/さっちゃん

  さっちゃん……といっても、6歳の孫が二人いるバアさんだが、私のことを、塾での通称・ヒマダ(ヒにアクセントをつけて!)と、今だに呼んでくれる数少ない一人である。私が塾を始めたころ中学生で、高校に入ってからも、何かと「ヒマダ、これ教えて……」などとやってきては、合宿やらキャンプなどにも参加してくれた。住まいは徳見家の近くで、今日久しぶりに顔を出してくれた。それならと、「カッパの会」の常連・松沢(4 .28 )に電話すると「お彼岸で、墓参りに行きたいけど、この雨ではねぇ……」と、すぐにやってくる。  こうして、 50 年も前の塾の話から、今の状況に至るまで――年寄りが集まれば必ず出る病気や医者の話、そしてお彼岸にちなんで !? 死者の話なども含めて、新旧取り混ぜて、さまざまな話がとりとめもなく、徳見「疲れたから横になりたい」と言うまで続いた。    彼岸など興味関心なかったが 逝く身になって思い深々

9月22日(火)火曜のヘルパー

 今使っているソーラーパネルは、昨年新規に購入したもので、古いパネルは、「庭」のすみに転がっている。9 .17 に太陽光発電のことを書いて以来、このパネルが気になっていた。まだ使えるこのパネルを、今のパネルと並列接続すれば発電量が倍近くになるはずである。  今朝、久しぶりの晴天に、今のパネルの隣に、古い 、 パネルを設置できる空間を作る作業をする。1時間ほどの「軽作業」で、何とか目途が立ったので、あとは明日以降のお楽しみとして、ネットで、「ソーラーパネルの並列接続コネクター」を探し、楽天に注文する。   11:00 火曜のヘルパー。今日で3回目だが、ケアマネに、徳見がよっぽど「怖いおばさん」と吹き込まれたためか、まだ緊張感というか、体の力が抜けていない。若いせいもあるのだろうが( 30 代ぐらいか?)、若いからこそ順応性もあるだろうから、いずれ自然体でつき合えるようになることを期待したいものである。  抗ガン剤のせいか、何となく頭がボーッとして、足が地についていないような感じなので、これで自転車に乗って大丈夫だろうか、などと思いつつも、徳見の必需品「四つ葉牛乳」などの買物もあるし、楽天ヘの振り込みもあるので、夕方、あざみ野駅周辺へチャリで出かける。乗ってみればそんな心配もどこ吹く風で、牛乳以外にもあれこれ買物して、いつものように何気なく帰宅する。  ……しかし、今になって思い返すと、「年寄りの冷や水こわい!(7 .22 、8 .26 )」で、いつ事故にあうか分からないのに、事故にあってからでは遅いのに……などと思いつつ、たぶん次回もまたチャリにまたがるのだ!    年寄りに手軽で便利自転車は それゆえ危険分かっちゃいるが……

9月21日(月)台風25号/肉じゃが

  朝から、というより昨日から、断続的に激しい雨が続く。今この時間( 20:30 )は、雨は止み、風も穏やかで、キーキー虫(アオマツムシ)の集団が、騒音を立てていて、激しい耳鳴りのように頭に響いて、窓を開けていられない。予報では、「夜遅く大雨」らしいから、これからさらに降るのだろうか。  昼前、徳見のメインディッシュがなくなりかけているので、私の数少ない料理のレパートリーの一つ、「肉じゃが」をつくり始める。まずは、冷凍庫から「黒毛和牛・カレーシチュー用」を取り出す(自然解凍)。また、以前作って冷凍してある「ニンニクオリーブオイルペースト」も、隠し味用に取り出しておく。玉ねぎはたくさんある。ニンジンは細めのものが3本しかない(明日、台風が去ったら、買いに行かなくては!)。残念、コンニャクがない(明日作らなくちゃ!)。そして、以前買ったゴルフボール大のジャガイモ1袋の皮をむく――といっても、包丁で皮をこそげ落とすだけで、少々皮が残っても気にしない。テレビの台風情報など見ながらのんびりやっていると、終わるころ、徳見が起きて来て、ちょうどお昼時となった。  「(キジバトが)来ないねぇ……」などと雨を眺め、テレビを見たりしつつ、ゆっくりと食事をする。  そういえば、「親が死んでも食休み」と、よく母が言っていた。掃除機も洗濯機もない時代である。子ども5人と口うるさい亭主を抱えて、おそらく一日中休む暇もなかったのだろう。「寝るより楽はなかりけり!」ともよく言っていたから、ときどき横になっていたのだろうけれど、そんな母の姿はまったく印象にない……。  ――と、食休みしつつ、すべての材料を圧力鍋に入れてガスにかけ、「錘(おもり)」が回り始めるころ火を止めれば、肉じゃが料理は終わりである。  夕食後、肉じゃがの汁に、業務スーパーで買った「サツマイモ春雨」をぶち込んで、明日から数日、ソーメン代わりの徳見の主食もでき上がったのである。    家事などは電気のおがげで樂になり 四角い部屋を丸く掃除機    (cf、居候四角い部屋を丸く掃き 古川柳)

9月20日(日)陶芸・買物

 今日も小雨の中、陶芸グループの仲間・スギウラが、車で迎えに来てくれる。途中、 102 歳のスギウラ母をひろって(6 .21 )、会場のケアプラザへ。徳見は前回成形した小皿3枚の「削り」作業。悪戦苦闘 !? しつつ、アドバイザーのカジヤの助けも得て、何とか時間内に仕上げる。持参の弁当で「会食」のあと、帰りがけ、スギウラに頼んで、買物をする。4~5日前から、鳩エサが切れてしまったのだ。やむなく、「古い」白米を提供しているのだが、皆様、イマイチご不満なようで、なかなか減らない。  鳩のエサは、どこのホームセンターでも売っているが、ヌカや貝殻、ソバの実その他、何やらキジバトが食べないものも入っている。ビバホームで売っている「鳩のごはん」は、トウモロコシと麦が中心で、食べ残すことがないので、最近はいつもこれにしている。  ――というわけで、ケアプラザから車で 15 分ほどのビバホームへ。ついでに同じビル内のマルエツでも買物して、買物困民・徳見を助けていただいた。スギウラさん、ありがとう。    土いじる手よりも口がよく動く 陶芸老人さざめいて萌え

9月19日(土)キジバトの「病気」

   大型の台風接近らしいが、今日は、ときどき小雨がパラつく程度で、そのつど窓辺に置いてある「鳩のエサ台」を家の中に取り込む。「野生動物にエサをやってはいけない」らしいけれど、まぁこの程度はいいだろうと、勝手に判断して、どこのホームセンターでも売っている「鳩のエサ」をやっている。  ここに住んで 30 年、ずっとキジバトとつきあってきた(8 .28 )。街のハト(ドバト)と違って、山バトは群れで行動することはないようだ。群れをつくるほど数は多くない。窓辺に来るのも、これまで最高で 10 羽を数えたが、ふだんはせいぜい4~5羽である。それでも、つついたり、バトルしたりして、「仲良く」食べることはなかなかない。それなら、誰もいないときに、一羽だけで食べに来ればいいと思うのたが、来るときはほとんどいつも数羽なので、やはり「群れ」で行動はしているらしい。  昔、片足のハトが来ていた、「障害者の家に障害鳩……」などといって、徳見はセッセとエサをやったりしていた。  いつのころからか、「病気」のハトが目立つようになった。目のまわりやくちばし、足などの毛の少ない部分に、コブのようなものができる。それがしだいに増えて、大きくなって、口が開かなくなったり、逆に閉まらなくなったり、足にできると、コブがじゃまになって、歩けなくなってくる……。そして、しばらくすると来なくなってしまう。  以前は2~3年に 1 羽ぐらいだったが、ここ数年は、年に1~2羽ほど見るようになっている。今年は、すでに3羽にコブができはじめている。捕まえて医者に連れていくわけにもいかないので、伝染病なのか、悪性の腫瘍なのか不明だ。いつもやっているエサに農薬がついていて、それが原因なのか、それとも地球環境汚染のせいなのか……、もしかして、人間社会も、こうなる前兆なのか、などと、自分の胃袋のことを思ったりして、おどろおどろしい想像をしてしまう!    いつの世も無病息災神頼み パンデミックは人智をこえて

9月18日(金)ミカ母

 南のほうでは台風が発生したらしい。今日も一日晴れたが、雲が多くて、なかなかスッキリ晴れてはくれない。そんな中、 11:00 新しい金曜のヘルパー来訪。これまでは3時間だったのが、半分に減ってしまい、料理や掃除などはほとんどできず、入浴介助中心になってしまった。   14:00 ミカ母が来てくれる。「ミカ」とは、徳見が 2009 年、くも膜下出血で入院・手術をしたとき、ちょうど同じころ、「もやもや病」で、同じ Dr. ナガシマに命を助けられた。そのとき、ミカは 19 歳だった。今日はミカも来るはずだったが、「昼夜逆転生活」のためか、起きられないらしい。  ミカ母は、積もる話をしながら、冷蔵庫で死にかけていたゴーヤ2本を使って、手早く「ゴーヤーチャンプルー」を仕上げてしまう。さすが「デイサービスで(一人で!) 30 人分の料理をしている」というだけある。しかも、化学調味料や「めんつゆ」などのたぐいは一切使わない。徳見もただ感心して眺めているだけである……。    そのへんの料理じょうずもまねできない 手際の良さと味つけ妙味

9月17日(木)太陽光発電

  久しぶりに朝から日が出て、徳見の調子も悪くはなさそうだが、日常は雨の日と変わらず、外出の予定がないので、一日中家の中である。  今日一日の晴天で、ソーラーバッテリーの充電量が、やっと 80 %を超えたが、これから冬に向かって、私の「ソーラーシステム」は、ほとんど実用に堪えなくなってしまう。   2011 年の「東日本大震災」の停電騒ぎ以来、せめて2~3日の停電には耐えられるようにしたいと、ソーラーパネル・バッテリー・コントローラー、それにインバータなどをそろえて、「実験的に」システムを構築してみたが、谷戸の谷間では、ソーラーパネルに十分に日の当たる場所がない。一番日の当たりそうな南側の窓辺に 100 ワットのパネルを1枚置いたけれど、バッテリーが 100 %充電されるのは、5月の晴天の日に、2~3回あるかどうかだ。   もちろん屋根の上に、パネルを数枚乗せればすむことだが、素人の日曜大工程度でできる仕事ではないし、アパートの賃借人の分際では、できるはずもない。  今のところ、ソーラー発電の電気は、 60 W程度の LED 電球を、毎日のチター練習のときに灯すのに使うだけである。もちろん、いざ停電のときには、テレビや室内灯などにも配電できるようにしてあるけれど、バッテリーの充電量がどんどん低下していくこれからの季節には、ほとんど実用性は期待できない。せいぜいスマホの充電程度にとどまるのだろう。  電気が使えなくなるような「大規模災害」が、「いずれは必ず来る」らしいけれど、人間は勝手なもので、それまでは「ヒトごと」である。    いつの日か電気止まって水も出ず  役に立たないソーラー発電

9月16日(水)雨の一日

 夜からのシトシト雨が続く。ここ一か月ほど、ほとんどお天道様の顔を見ることがない。徳見の体調もさえない。今日はチターレッスンの日だが、「やめようかな~~」と、雨の中を出かける気力もわかないらしい。  お昼近くになって、何となく外へ出たくなる。徳見に「買物に……」と声をかけると、「どうせオナカがすかないから(昼食は)いつでもいいよ。カサを忘れないで」という。私が一人で外出するとき、徳見は「ハンカチ持った?」「小ゼニは?」などなど、子どもに言うように、何か必ず注意するのである。今日は雨なので「傘を忘れて来ないで」というのだ。  もっともこれは徳見に限ったことではなく、子育てをした女の「習性」なのだろう(などと、たった一人の例を女一般に普遍化しては、叱られるかもしれないが……)。  とにかく、昔なら、 30 分もあれば往復したところを、ノッタラリ~ノッタラリと、傘をさして、とくに買いたいものや必要なものがあるわけでもないが、スーパー「タイガ」と「サンドラッグ」(こちらはトイレを借りただけ)に寄って1時間半。私の今日一日は終わったのだった。    思いっきり日向ぼっこがしてみたい  小春日和のあの冬の日の

9月15日(火)新しいヘルパー

9. 11 に「引継ぎ」をした、新しい「入浴ヘルパー」来訪。午前中の 11 時という時間に入浴というのが、何となく解せない様子の徳見。「入浴後すぐに針治療に行くと、血圧が高くて、針が打てないことがよくあったため」新しい入浴ヘルパーは午前中で探してもらった、と説明すると、納得したのかしないのか……。 新しいヘルパー・アオキは、「若武者ケア」という社名の通り、若くて元気だ。「一人暮らし?」と聞くと、「彼氏と同棲してま~す!」と、何のクッタク(屈託)もテライ(衒い)もなく、テンタン(恬淡)としている。そんなところは、徳見の孫・アオイを思い出させる。そういえば、トシも同じぐらいだろうか。「気難しい」徳見と、馬が合うことを期待するのみだ。 入浴が終わると、もう 12:30 近い。昼食して、一休みすれば、 16:00 いわい整形外科へ行く時間である。   同棲と青春時代は夢なんて わが老春はガンと同棲

9月14日(月)多摩プール(18)

   徳見「夏休みが終わったのに、子どもの声がする」。  ドアを開けると、確かに小学生の親子連れでにぎやかである。しかし夏休みほどではない。プールの中で、隣りにいたお父さんに、聞かずもがなとは思ったが、「今日は休み……?」と言うと、「振替休日です」とニッコリ。一瞬、徳見と顔を見合わせて「今日は休日だったっけ……?」と思ったが、すぐに勘違いに気づいて、お父さんに返事をしようとしたら、すでに子どもの後を追って行ってしまっていた。 子どもだったら「きのう運動会で……」とか「授業参観で……」などと答えるところだが、「振替休日」という答えがちょっと意外で、すぐにピンとこなかったところが、我ながら少しおかしい。ところで、「学校行事の翌日の休み」の正式名称は、「振替休日」なのだろうか。プールを出たら、小学生の母親でもあるサキに聞いてみようと思ったが、それっきり忘れてしまった。 今日はサキが「個人面談で……4時に学校に行く」ようだ。「私が子どものころは、家庭訪問だったよ」と言うと、去年から廃止になったというので、びっくりする――あの家庭訪問が、去年まで続いていたことに!である。いつから始まった制度が知らないが、少なくとも、私が小学校に入学してからだとしても、 80 年以上は続いているわけだ。 もっとも、知人の小学校の教師からは、家庭訪問の怨嗟の声をきいたことがないから、それほど負担になるような仕事ではないのかもしれないが……。   虫の音と谷戸の冷気が 里山に冬の予感を忍び込ませる 

9月13日(日)ニガウリ

   今日も、いつ降ってもおかしくない天気がつづく。ひと夏の間、徳見の寝室と居間、二部屋の日よけとなってくれたゴーヤ棚を撤去する。1時間足らずの作業で、大小取り交ぜて 28 個収穫し、これで、今シーズンの収穫数は 44 個となった。昨年は 45 個だった。記録のある最高は、 2022 の 194 個だった。年々数量が減るのは、やはり「連作障害」なのだろうか。   ニガウリの 棚外しても 曇り空

9月12日(土)眼科・買物

  朝からシトシト雨。眼科は行けないかな?と、朝寝して 10:00 ごろ起きると、いい具合に雨はあがっていて、少し明るくなっている。さっそく、徳見は電動車イス、私はママチャリで、駅前の恵愛眼科へ向かう。 のんびり?根気よく待つこと1時間半、検査の結果は、徳見の右目は視力が良くなっていて、合わないメガネをかけていたので見にくいという。そんなことがあるのかと、徳見もびっくり。 眼科の後は、駅前のスーパーで、徳見の必需品である「四つ葉牛乳」を買って、いつ雨が降るか分からない空もようなので、そのまま引き上げる、   通院と買物兼ねて駅前へ ついでに食事楽しみもあり

9月11日(金)新しい「入浴ヘルパー」

2001.9.11 、 25 年前の夜9 :00 過ぎ、徳見が大声で呼ぶ。見ると、航空機がニューヨークの高層ビルに突っ込んで、後ろ半分が宙に浮いている生々しい映像がテレビに流れている。アメリカの「同時多発テロ事件」の始まりである。世界が壊れていくような予感におののきつつ、2時間以上もテレビに釘付けになってしまう。 この年の7月には「リハ裁判」が最高裁で上告棄却となって、9年間続いた裁判は、地裁・高裁・最高裁すべてで敗訴となって終わった。同時進行で進んでいた、解雇無効を求める「障労裁判」は、証人尋問という「山場」を迎えていた。 ――そんなことを思い出しながら、初めての事業所からの「入浴介助だけのヘルパー」アオキを迎えた(彼女もサ責だという)。以前からの「サ責でヘルパー穴埋め要員(などと言ったら失礼かも!)」イイダも来て、今日で最後の「穴埋め」と引き継ぎをする。二人は歳も近いし同じサ責同士、和気あいあいと作業が進み、徳見も好ましそうに二人を見ている(……と、これは私の推測だが……)。 とにかく、「気難しい」徳見の介助、うまく続いてくれることを期待するのみである。   25 年世界混沌出口なし 闘い続く生きるためには

9月10日(木)青トマト・ニガウリ

ここ数日、「いつ降ってもおかしくない」天気が続く。そんなに中、プランターのミニトマトを、蚊に攻められ ながら、撤去する。赤いトマト 23 個(トータル 1075 個)、青いトマトがザルいっぱい、大小取り交ぜて 257 個あった。毎年青トマトの処分に悩んで、少量ならピクルスにするのだが、こんなにたくさんあると、ほとんどは土に還すしかないだろうなぁ……と思案している。 ゴーヤ棚はまだそのままである。3~4個、実がついているが、もうこれ以上大きくはならず、このまま置いても赤くなるだけだ。徳見は、汚いから枯れ葉だけでも取ってくれ、というが、「もうすぐ全部撤去するから……」と言いつつ、何となく延び延びにしてしまっている。やればすぐできるのに……こんなことも抗ガン剤の影響があるのだろうか、などと、これはただの言いわけか!   雨続きトマトは赤くなりそこね ニガウリはただ赤くなるだけ

9月9日(水)多摩プール(17)

夏休みが終わり、プールには静けさが戻ってきた。それでも、何組か、幼稚園入園前の幼児を連れた父母グループがいて、徳見「かわいいねぇ……」と目を細める。 今日も、いつものように 37 ℃のリラクゼーションプールと、 25m プールや「流れるプール」を何度か往復するが、「何か体が気持ちよくならないなぁ……」と、少し早めに出て、隣にある多摩市の「リサイクルセンター」へ。 数年前に、廃油で作った粉石けんや液体石鹸を買って、台所用として使っていたのだが、無くなってしまったのである。大型の家具から、ボタンのような小物、楽器やら端材のたぐいまで、整然と並べられている。「お客さん」が誰もいない、閑散とした状況も、数年前とまったく変わらない。そのころ、何度か来たことがあるのだが、徳見は「全然覚えてないなぁ……」という。肝心の石鹸は「もう扱ってない」とのことで、車イストイレだけ借りて引き上げる。   洗濯も食器洗いも石鹸だ 洗剤使うな石鹸探せ

9月8日(火)新規開店スーパー

  くもり空ながら、雨は降らないようなので、2~3年前に閉店したスーパー・丸正の後に、つい先日開店したスーパー・タイガへ、 10:00 ごろ、散歩がてら、徳見は電動車イス、私は徒歩で出る。 10 分かせいぜい 15 分程度の距離だが、急な坂道を上り、その先も坂が多いので、今の私の足では、倍ぐらい時間がかかる。私の歩く姿を見て、徳見「ヨタヨタしているよ!」と冷やかす。「あたりまえだ、いくつだと思ってる……」と切り返すと、「 85 ……でいいんだよね」と、私の歳を覚えてくれている。そして、「私も来年は 80 になるよ……」と、自分の歳も覚えているらしい(よく私にきくのだが……)。 スーパーや、ついでに隣のサンドラッグでも買物して、帰宅すると 12:00 近い。 14:00 火曜のヘルパーの「穴埋め」で、今日も「サ責」のイイダが来る。1時間半しか時間がないので、入浴の後、掃除をチョコっとやって終わりになる。 ちょうど、ケアマネから、火・金の「入浴だけのヘルパー」が見つかったというメールが入る。これからは、火・金は1時間の入浴だけになり、家事サービスはなくなってしまう。イイダに、もう「穴埋め」をしなくてすむからよかったね、と言うと、申しわけなさそうな顔で、「スミマセン……」。 徳見が「看護師の入浴サービス」を受け入れさえすれば、「入浴ヘルパー」は不要で、その分家事サービスを頼めるはずなのだが……。   車イス谷戸の尾根道走りぬけ 後追う爺はノロリヨタヨタ       【1年前の今日⑦ 2025.9. 8 】北部病院診察・入院 ハナが付き添ってくれて、9 :30 前田 Dr. の診察。8 .27 の MRI の結果、肝臓に転位していることがはっきりしたので、手術でガンを取ることはできない。あとは化学療法か放射線治療になるという。 血液検査の結果、ガンからジワジワと出血しているらしく、貧血がひどいので、即入院となる。初めての入院、しかもまったく何の準備もしていない。しかし、ハナが、入院手続きや、私の車で家に戻って必要そうなものを持ってきてくれる。5人部屋の病室に落ち着いて、 15:00 ごろ、輸血が始まる。 ――こうして、9 .16 まで、9日間の入院生活が始まった。  

9月7日(月)里山の一日

  台風の影響で、ここ数日雨模様の予報だが、昨夜から明け方にかけての雨はすごかった。よく「バケツをひっくり返したような」と表現するが、それほどではないけれど、 2004.10 に、裏山が崩れたときのことを思い出して(6 .26 )、最悪の事態を想像して、なかなか寝つかれなかった。 明け方には、雨は小降りとなったが、テレビでは、各地の被害を報道し、雨はまだまだ続くというので、今日の多摩プールは中止にした。 雨は、昼前にはあがって、昨日一日、まったく鳴かなかったアブラゼミやミンミンゼミが数匹鳴き出し、久しぶりにガビチョウも声をあげる。徳見と二人、「五目並べ」で頭の体操をしたりして、各地の被害をよそに、のんびりとした里山の一日を過ごすことができたのだった。   セミ戻りガビさえずって落ち葉散る 里山ここに泰然とあり

9月6日(日)五目並べ

朝から、シトシトと冷たい雨が降り続く。誰も来ず、どこへも行く予定はない。こんな日には、徳見は食事やトイレ、薬や水飲み以外は、テレビをつけっ放しのベッドで過ごすのだ。そうだ、忘れてはいけない、「頭の体操」と称して、「五目並べ」をしたり、夕食ひと休み後のチターの練習もある。 私はといえば、何もせずボーっと窓から里山の雨の景色を眺めている。そうしていると、何となく句が浮かんでくる。   セミの声絶えて 里山雨静か   来年の「予定ノート」を作りつつ この日この月命ありやと

9月5日(土)チハル

朝、「今、夜勤終わったから、これから行くよ」と、孫で看護師のチハルからメール。私のこのブログを見て、看護師の入浴介助について、バァバ(徳見)に説明してくれるというのだ。徳見は、「そんな説明などいらない」と拒否するかと思いきや、「何時に着くの?」と、今日予定していた眼科の通院を取りやめ、まだ1時間以上も時間があるのに、コーヒーを漉したり、お茶菓子の準備などをはじめる……。 朝から、今にも降りそうな曇り空だが、チハルが到着したころには、少し明るくなってきたので、徳見は電動車イス、私はママチャリ、チハルは徒歩で、近くの「あざみ野ガーデンズ」内のスシローで食事をすることになった。 チハルが、自分の体験も含めて、「バァバ、看護師のほうがいいと思うよ」というが、徳見はどうしても看護師の入浴介助に納得できないらしい。しかし、それはそれとして、久しぶりにチハルとゆっくり食事をして、楽しく過ごしたのだから、徳見にとっては(そして、私にも)、いい時間だったのだろう。   ジジババと呼んで呼ばれて旅をした 幼いころの面影今も

9月4日(金)いわい整形外科

14:00 金曜のヘルパーの「穴埋め」に、サ責(サービス提供責任者)のイイダ来訪。「つい先日も一人辞めて……。帰るのが夜中の 12 時過ぎになることもあり、バタンキューで……」と、それでも笑顔を絶やさない。昨日来た木曜のヘルパーも「(イイダが)倒れるんじゃないか」と心配していたが、とにかくヘルパー不足が深刻のようで、そのしわよせを、「責任者」イイダが責任をかぶっているようだ。 16:00 「いわい整形」へ。いつもの針治療などの後、院長の診察。先日の「訪問看護ステーション」から、「訪問看護指示書」という書類が届いている。 徳見は「在宅で、医療やリハビリを受ける必要はない」とキッパリ。「それじゃあ、この書類は保留にして、必要になったら、いつでも書きます」で終わる。 頸椎の「大手術」をして、何年も入院生活をしてきて、しかも自ら歯科衛生士という「医療職」を自任している徳見が、「たかが入浴」を看護師がすることに、なぜこれほど拒否反応を示すのか、徳見にとっては「されど入浴」なのだろうが、今のところ私には理解不能である。   最後には責任逃がれの逃げ人生  おかげで長生きいいか悪いか

9月3日(木)入浴介助問題

  午前中、ケアマネが来て、おとといの「入浴介助」の問題を協議。徳見は「入浴介助は看護師の仕事ではないはず」として、どうしても訪問看護師を受け入れようとはしない。とにかく、現実に事業所のヘルパ ー 不足が深刻で、火曜と金曜の2日間、3時間余りの家事 ・ 入浴サービスを提供できる状況ではない。  1時間半余りの話し合いの末に、結局、ケアマネが 、 「訪問看護師は徳見が納得しないのでやめる。 しかし 、 ヘルパーが 3時間は 、今の状況では 無理なので、火 ・ 金に1時間、入浴サービスだけを提供できる事業所を探す」ということになった。  しかし、どこの事業所も、ヘルパー不足に悩んでいるときに、うまく見つかるかどうか ?  見つからずに、ケアマネが「責任取って辞任」などということになったら……そうならないことを祈るのみだ !     年を経て 三つ子の魂変わらずに 人生半分損した気分   【1年前の今日⑥ 2025. 9 . 3 】北部病院・大腸カメラ  若い女性が二人、たぶん一人は検査技師で、一人は医師らしい。大腸内視鏡検査が終わるとすぐ説明があって、ポリープはないし、 2011 年に検査したときの「奥のほうにあったポリープ」もなくなっているという。 14 年も前のデータがまだ残っているのにはびっくりだが、そのときの医師の説明では、「ガン化する可能性があるので、とったほうがいい。日帰りでできる」とのことで、日程を入れてくれたのだが、結局行かなかった。翌 2012 に、横浜労災病院で、胃カメラを飲んだときに、ついでに !? 大腸もやってもらった。そのときは、「奥にあるポリープをとるには、 2 泊3日の入院が必要」と言われて、このときも、とるのをやめたのだった。 とにかく、大腸ガンの心配はないので一安心。

9月2日(水)チター教室

  昨日、抗ガン剤のドクターの診察時に、どういう文脈だったか、「昨日はプール介助で、明日は、チター抱えて新宿まで……」「チターってどういう楽器?」などという話になった。 50 代ぐらいらしいドクターに「第三の男」などと言っても通じないから、話は続かない。「マイナーな楽器で、日本では奏者もほとんどいない……」で終わってしまう。 そして、今日もまた、チターを背負い、車イスを押し、タクシーと電車を乗り継いで、新宿まで往復してきた。往きはレストランでのんびり食事、帰りはスーパーでのんびり買物、というおまけまでついて……。 ドクターは「他人の介護をするくらいなら、今の治療を続けても大丈夫だなぁ……」と言う。余命の1年は経ったけれど、どうやらもう少し生きられそうだ!   昼はセミ 夜は虫の音 生々死々  

9月1日(火)北部病院点滴/ヘルパー問題

  7 .28 に徳見が火曜のヘルパーを拒否して以来、ヘルパーが見つからず、心配したケアマネが「入浴介助だけなら訪問看護師でもできるし、健康上の相談もできるから、かえっていいかも……」と、今日 12:30 から来てもらうことになった。 しかし、徳見の価値観の中では、看護師と入浴サービスが結びつかないらしく、「何で看護師が入浴を……?」と、ずっと納得がいかないようだった。 私は、3週間に1度の「抗ガン剤点滴」の日で、ドクターは、「抗ガン剤の副作用は、すでに1つ――副腎皮質ホルモン「コルチゾール」が出なくなったから、あとは大丈夫でしょう」と、根拠があるのかないのか分からないが……、点滴を終えて、 15:00 ごろ帰宅して、「(看護師入浴は)どうなった?」ときくと、「断った!」という。 あぁ、心配していた通りになってしまった! そのうえ、「金曜のヘルパーが、前回入浴介助のとき、徳見に叱られて、ヘルパーをやめる言っているらしい」と、追い打ちをかける。 金曜のヘルパーは、 2013 年から来ていて、徳見とも気が合って、いつも親し気につきあってきただけに、予想外の事態に愕然とする……が、しかしあり得ないことではない。徳見という人は、いくら親しい人であっても、いや、むしろ親しければ親しいほど、「間違ったこと」を許せず、厳しい言い方をする。しかも、困ったことに、自分が、厳しい言い方をしていることに気がつかない。 ――だから、私が同じ調子で反論すると、「(私が何もしないのに)突然シマダが怒り出した」と言うのである。もしかしたら、パワハラで横浜市長の職を棒に振った山中竹春も、怒鳴ったり叱ったりしたことを自覚していなかったかもしれない…… !? と、まぁそれはともかく、すぐにケアマネや事業所の担当者・「サ責」に電話したりして、善後策を協議した……とはいえ、いい知恵が浮かぶわけもない。さて、どうしたものやら……。   世の中は一人だけでは生きられない 自分を殺して妥協も人生