4月28日(火)「カッパの会」の年表作り/サオリ

  昨日・今日と、夜は「カッパの会」の「年表」作りに熱中してしまった。こんな、人が見たら、何の意味もない、何の役にも立たないことに「残り少ない」時間を使ってしまっている。2009年にカッパさんが死んで、2010年の「偲ぶ会」以来、16年、松沢、村田、徳見、國澤も含めて、40回も、よく続いたものだ。考えてみれば、大して話すこともない、共通の話題などほとんどないに等しい。それなのに、何となく集まって、おしゃべりして……、ムダといえばムダな時間が、16年、40回も続いている。「カッパの会」といっても、カッパさんの話はほとんど出ない。「カッパの会」とは、私だけが言っているらしく、松沢・村田は、そもそも周東をカッパなどと呼んではいない。國澤がまた、やけにこの会を気に入っている。これもよく分からない。また、村田夫人もしかり。

 何の目的もなく、ただ漫然と会食することがそんなに楽しいのか、私には、分かるような、分からないような……。そのうち、分かるときがあるのかもしれない。

  ふと思いついて、ラインの最後に残っていたサオリに、ダメもとで送信したところ、思いがけず、すぐに返信がある。5年前に(兄の)チヒロが死んだという。

 姉ナオミ・兄チヒロが私の塾に通っていて、サオリ自身は、夏休み・春休みに1~2度来ただけだった。カッパさんの「偲ぶ会」に、きょうだい3人で参加してから、201013年にかけて、何度か徳見家にきたり、プールにも一緒に行ったことがあった。仕事が忙しいのか、何となくそれっきりになってしまった。今、54歳だから、当時40前後で、独身で、フリーター仕事をあれこれやっていたように記憶している。今は、どうなっているのか。

 ――こんなふうに、昔のことをあれこれ思うのは、やはり、余命短いという意識があるからなのか。

57歳まだ死ぬには早すぎる カッパが遺した森田童子聴く


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