5月3日(日)弟・重孝のこと

  今日はリョウ一家が来るというので、おでんを仕込む。昨夜、ダイコン下ゆでしておき、朝食後一休みしてから、コブ・シイタケを熱湯で戻して、数日前に作ったコンニャクのあく抜きと一緒に、玉子5個ゆでて、あとは昨日買った練り物を切るだけ。全部をナベに入れて、こぶ茶、手作りの「かえし」をいれて、煮るだけ。簡単なものだ。冷凍庫に、以前(ミキ・マキ二人が福島に戻るとき、マキが作ったというものをもらったのだから、2017.11.22だ!)赤坂氏からもらった塩こうじが少し残っていたので、それもぶち込む。

 15:00ごろ、リョウ・ユカリ・ミナト(中3)・ミオリ(小4)・シオリ(小2)5人来る。ミオリは、体調不良で、ほとんど徳見のベッドで休む。のんびり、おしゃべりして、17:00前に引き上げる。

 リョウの父・シゲノリ(重孝)は、私の弟で、2009.3.8脳梗塞で死んだ。

その前月20(金)~22(日)に、「ふるさと見学会」という、当時徳見がとっていた『ふるさと情報館』という雑誌(不動産屋の宣伝誌だが)の「別荘」に2拍したとき、母から、「シゲノリが倒れた」と連絡があり、帰宅途中に、徳見と共に、相模原の北里病院に寄った。病室は一人部屋で、若い看護婦さんが看病していた。シゲノリは酸素マスクをつけた状態で、イビキも含めて、苦しそうに呼吸している。声をかけると、薄目を開けて、反応はするという状態。ベッドわきには、「総入れ歯」が置いてあり、びっくりする。あとで、連れ合いのカツコさんにきくと、彼が総入れ歯だったということは全く知らなかったという。おそらく、「仕事人間」たらざるをえなかった彼は、ストレスで歯をすべて失い、しかもそれを家族にひた隠しにしていたらしい。前日夜8:30ごろ、飲んで帰るバス停で倒れたというが、このようなストレスと酒と冬の寒さが引き金になったのだろう。

 その3日後の2.24(火)の朝、徳見がくも膜下出血で倒れて、武蔵小杉の「聖マリ東横病院」に運ばれ、翌朝手術。1か月後の3.23に退院した。

 シゲノリが死んだのは、徳見の入院中で、私は聖マリと北里の両方かけもちで、対応に追われたが、「日常生活」は、いつものように、淡々と進んでいく。ちょうど、チハルがチターレッスンに通いだしていたが、これらの話は別に機会があったら……。

 入院してちょうど1週間後の27日(金)に北里へ行くと、カツコさんとナオコがいる。ナオコはもう31歳とのことだが、高校のころ、シゲノリの話では、「拒食症で対応に悩んでいる」という「相談」があった。しかし、その時は、ナオコとは会っていない。その後、大学を卒業し、イラストレーターの仕事をしているという話をきいて、99.10.3に、シゲノリ宅で、ナオコに会って、『障労通信号外』の表紙のデザインを頼んだことがあった。その時以来だから、ちょうど10年ぶりだ。中野市の母親の実家に住んでいて、近くの「小林果樹園」でリンゴ栽培などをしていて、「私が一番悩みが少ないかなぁ……」と、カラカラと笑って元気だ(ナオコは果樹園の同僚・森氏と結婚したわけだ)。

 結局、シゲノリは、回復することなく、そのまま死んでしまった。保険代理店の仕事は、リョウが継ぐことになった。

 ナオコに長男・虎之亮が生まれたのは、翌2010年、ナオコの弟・リョウに長男・ミナトが生まれたのが2012年だから、シゲノリは、ついに孫の顔を見ることはなかった。

 おかげで!? 私がシゲノリの子どもや孫たちと、「交流」を楽しむことができている。


弟の意識不明の病床に 妻子も知らぬ入れ歯置かれる


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