6月19日(金)ヘルパー来訪
いつもの金曜のヘルパーの代わりに、12:30イイダが来る(5.5)。サ責(サービス提供責任者)とはいえ、若いせいか、もっぱらヘルパーの穴埋めをさせられて?いるらしく、会社から支給されたというバイクで、いつも登場する。
今朝、徳見が外を見て、「大きいタケノコが生えている」と叫ぶ。見るとマダケ(真竹)が3メートルほどに伸びている。毎年この時期にマダケのタケノコを採るのだが、すっかり忘れていた。
徳見とイイダがコーヒースイーツしている間に、長靴に履き替え、草刈鎌を持って採りに行く。以前なら、山の奥まで登って採ったものだが、今はとてもそこまで行く自信がない。手近なところに生えて景観を悪くする数本を切り取って、ついでに数個の花をつけているアジサイを一枝切り取る。
キュウリとゴーヤのツルの誘引や選定をし、ついでに日陰を作ってじゃまになっているシソを間引きする……。
徳見は、サンショの葉や実のしょうゆ漬けの小瓶を冷凍庫から出して、味見させて自慢する。
――こうして、料理と入浴が終わると、イイダは、採りたてのタケノコ・アジサイ・シソ、そしてサンショの葉や実のしょうゆ漬けなどを下げて、実家に帰ってきた娘のように、楽しそうに、バイクで颯爽と引き上げていくのだった……。
――などということを、ヘルパーは決してしてはいけないらしい。
介護保険制度ができる前、ヘルパーは、措置制度のもとで、役所から派遣されていた。「横浜市ホームヘルプ協会」という市の外郭団体だが、管理するのは実質的に市の役人である。
当時のヘルパーは、料理が上手な人が多かったように思う。「家政婦」的な感覚でヘルパーをやっている人が多かったのかもしれない。また、半年、1年ほど経って、せっかく気心が知れてきたころには「転勤」になってしまう。これは、「利用者とヘルパーが癒着してはいけない」という、管理する役人の発想である。
2000年に介護保険制度が始まり、「横浜市ホームヘルプ協会」が「横浜市福祉サービス協会」に変わった。「措置」から「契約」になり、協会は「完全に市から独立した」というが、名前に「横浜市」ついているように、市の「高級官僚」の天下り先になっているらしい。
したがって以前からの「体質」はあまり変わらず、徳見は、何度か担当者とケンカをしたあげく、今の事業所に代わってからは、ヘルパーと個人的にも楽しくつきあってきた。時には一緒に旅行に行ったりもした。
しかし、2012年、徳見65歳で、介護保険制度の対象となると、がらりと変わった。すべて「制度」にがんじからめとなって、事業所は同じだが、ヘルパーとのつきあい方が全く変わった。そのため、それまで楽しくつきあっていたヘルパーは、ほとんど辞めてしまった。
ヘルパーは、決められたことを決められた通りにやり、それ以外はやってはいけない。あくまで「仕事」として「利用者」とつきあうようになった。
「協会」時代は、ヘルパーと利用者が個人的なつきあいをしないように「管理者」が管理していたのだが、今は、ヘルパー自身がしないようになっている。
ヘルパーは家事労働の専門家 おだてあげられ賃金安く
コメント
コメントを投稿