6月12日(金)一輪咲きアジサイ
「モモちゃんの花がないなぁ……」と徳見がつぶやく。モモというのは、2009.1.24に16歳で死んだネコで、その死を悲しんだのが引き金になって、ちょうど1か月後の2.24に徳見がくも膜下出血で倒れた。
モモが死んだ翌日、当時よく使わせていただいていた蓼科の「原山荘」で、モモを荼毘に付した。持ち主の原さんがいて、30センチほど積もった雪の庭で、薪を燃やして、昼過ぎから夕方までつきあってくれた。
モモの「遺骨」は、今でも徳見の部屋の片隅に置かれて、いつも花が飾られている。その花がなくなってしまったという。
ちょうど山は青や白のアジサイの花が見ごろになりかけている。さっそく長靴に履き替えて、足元に細心の注意を払いながら、何本か切り取る。
奧のほうに1本だけ大きな赤いアジサイが咲いていて、徳見が窓辺から眺めては、来る人ごとに(といっても、ヘルパーぐらいだが……)「きれいでしょう!」などと「自慢」しているのだが、そばで見ると、わずか30センチほどの茎が、地面から1本だけ出ていて、先端に咲いている。一輪咲きという風情である。近くに何本か同じ株から生えたらしい茎が伸びているが、花をつけているものはない。
さて、この花を切って飾ろうか、それとも「やはり野に置けレンゲ草」で、このまま窓から眺めていたほうがいいのか……。しばらく迷ったが、思いきって切ってしまった。
12:30金曜のヘルパー来訪。例によって、一緒にコーヒーやスィーツなどしながら、徳見は私が採ってきたアジサイの枝葉を整え、水切りなど始める。それを見て、ヘルパー「徳見さん、お花の先生みたい」という。
ひとわたり終わると、2束に分けて、1束をヘルパーにプレゼントする。見ると、全山にたった1本しかなく、私が切ろうかどうしようか、さんざん迷った赤いアジサイが、ヘルパーの束に入っている……!
徳見とはそういう人なのだ。人には「自分がもっともいいと思うもの」をやるのである。陶芸で気に入ったものができると、人にやるのも同じだ。料理も然りである。
ただ、料理の場合は、徳見の味覚が独特で、甘からいもの・酸っぱいもの・甘酸っぱいもの・トロッとしたもの(ex.あんかけ)などはダメで、こういう料理は基本的には作らないが、そうではなくても、私やヘルパーが作って、量が多すぎて食べきれないから、サキやハナにやろうといっても、徳見がマズイと判定した料理は、決して人にやってはいけないというのである。
私がおいしいと言い、他のヘルパーに試食してもらって「おいしいよ」と言っても「マズイ」という(結局徳見に内緒でやることになるのだが……)。
アジサイの 一輪咲きを 切り惑い
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